リーマン・ショックの直後でどん底からのスタート

渡辺 調べてみると派遣会社は許認可事業なので資産要件として1000万円が必要でした(当時)。7年間療養していたので貯金もなく、出資してもらった金額では足りず、資金集めが本当に大変でした。でも、今も不思議なんですけど、「外国人でも搾取されずに安心して働ける会社をつくりたい」と話すと、お世話になった税理士さんや、同級生のお父さん、前職の取引先などの方が20万、50万と貸してくれて。なんとか開業できました。

―― きっと渡辺さんの熱意が伝わったんですね。会社を立ち上げてからは順調でしたか?

渡辺 ちょうどリーマン・ショックの直後だったので、本当にマイナスからのスタートでした。いくら営業してもなかなか派遣先が見つからない。日本人も失業しているときに、なぜ外国人の世話をするのかと怒られたり、営業に行くと名刺を見て「社長って書いてあるけど、お父さんは誰?」と聞かれたり。

 保守的な土地柄なので、親の会社を継いだ2代目社長か、美容系以外で起業する女性がほとんどいませんでした。事務所の大家さんは親切なんですが、「渡辺さんは女の子なのに、なんで会社をやらなければいけなくなっちゃったの?」って心配されて。女の子って、38歳でしたけど(笑)。

 とにかく今、できることをやろうと。最初は登録スタッフ向けに日本語教室やビジネスマナー教室を無料で開催しました。外国人は「働かない」「わがままだ」と誤解されることがありますが、それはコミュニケーションがうまく取れないからなんですよね。ほかにも、学校の保護者面談から大家さんとの交渉、市役所の手続きまで、アシスタントと2人で何でもサポートしました。当時の事業計画書にもギブ&ギブと書きましたが、とにかく役に立ちたいという気持ちでした。

―― なぜそこまで大変な思いをして会社を続けたのですか?