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きょうのARIA代表
UBS銀行東京第一営業本部部長 山崎直子さん(49歳)

「ビバ寿退社」が合言葉だった新卒時代、37歳で総合職に
―― キャリアのスタート地点は、一般職で大手信託銀行への入行。「お茶くみで給料がもらえるなんて最高!」と思っていたとは、今の山崎さんからは想像できません。
山崎直子さん(以下、敬称略) 新卒の時は、ビバお茶くみ&ビバ寿退社でしたよ。3年くらいで結婚相手を見つけて寿退社するのを目標に働いていました。とはいえ、会社選びのテーマは、「人と関わる仕事」ができるかどうか。人と関わる仕事で、自分も成長できればと考えていました。銀行員だった父に「金融機関はお金を媒介にあらゆる業種の人と、深い付き合いができる」しかも、「どうやら信託銀行は休みが多いらしいぞ」と言われて決めました。全国イチ忙しい支店に配属になってしまったんですが……。
―― その「ビバお茶くみ」モードはいつ切り替わったのですか?
山崎 今振り返ると、大きな転機が2回ありました。
一回目は、31歳で本店営業部に異動になり、私のキャリアに大きな影響を与えた部長に出会ったことです。当初は窓口の主任をしていたのですが、部長に「山崎はここでいったい何をやりたいのか?」と聞かれて。私は「最終的には大口のお客様を最初から最後まで一人で担当したい」と言いました。「やりたいなら、『最終的』ではなく今すぐやれ。3カ月だけ猶予をやる。3カ月でキラッと光る成果が出なければ、どこかの支店に飛ばすから」と言われたんです。
―― いきなりすごいプレッシャーですね。その時はまだ一般職だったのですか?
山崎 同僚は全員総合職でしたが、私は一般職でした。「とにかく頑張ります」と。でも、営業として店舗から出たことすらなかったんです。「大口顧客を自分で探せ」と言われても何から手を着けていいか分からない。あらゆる部署に当たりをつける中で、大口取引ならまずは不動産だろうと。不動産の部署に行き「この部署のトップ営業マンに1カ月付かせてください」と交渉。1カ月間はトップ営業マンの下で、不動産のいろはと交渉から成約に至るまでのすべてを見せてもらいました。
なんとか部長に成長の芽を見せることができ、金融資産についてのアドバイスを中心に、富裕層の生活のあらゆる局面に関わるプライバートバンカーとしてのキャリアが始まりました。2年もすると数字を獲得できるようになり、運も味方をして私が部でトップの数字を挙げる時期が続いたんです。周囲のみんなが「総合職になったほうがいい」と言ってくれ、テストを経て37歳で総合職になりました。成果を挙げる仕事の楽しさを味わっていたのですが、気が付けば入社15年目。節目の長期休暇で行ったアフリカの大地に沈む夕日を見ながら、大きな決意をしました。二回目の転機の訪れです。
・さようなら、「支店長への道」
・二つのやりたいことを求めて外資系へ
・仕事の意欲が低下ーーそして東日本大震災
・「人の面倒見てる場合か」に奮起
・「社会貢献といえば山崎」になるまで
・大人の学び直しでライフワークを発見