人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、ARIA読者にお届けします。作詞家・コラムニスト・ラジオパーソナリティーとして活躍するジェーン・スーさんの1回目は、「普通」に憧れもがきつづけた学生時代を振り返ります。
(1)私はずっとはみ出してきた ←今回はココ
(2)最初の火種を消すと致命傷に
(3)フラフラした経験がジェーン・スーを生んだ
コラムニスト・ラジオパーソナリティ・作詞家

家族も、自分も、特別なことが何もないことがコンプレックスだと言う人の話を聞いて、度肝を抜かれたことがある。彼女はとても普通で幸せそうに見えたから。
この国では、平均的とか多数派とかの意味で使われる「普通」。そこに収まっていることは、何よりの安全だ。はみ出せば、朝の通勤電車で、ふと開いたSNSの画像で、友人との他愛ないおしゃべりで、駅ビルに入っているアパレルショップの試着室で、売れ筋ランキング第1位のリップグロスを塗った鏡の前で、同僚がふと語った家族の話で、自分がはみ出していることを突きつけられる。本当に、そんなことを望んでいるのだろうか。
私はずっとはみ出してきた。はみ出す自分を恥ずかしく思い、多数派に収まることを渇望しながら、同時に、それほど特別とは言えない自分をジメジメした気分で俯瞰(ふかん)する。正直に言えば、30代半ばまではそうだった。
幼稚園に入る前から、ひときわ体の大きな子。背も高く、肉づきもよい。当時の写真を見て心の底から愛らしいとは思えるものの、平均的かと問われれば、首を横に振るしかない。