人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。ジャーナリストの増田ユリヤさんは大学卒業後、高校の社会科教師に。二足のわらじでNHKのリポーターに採用され、取材の魅力にのめり込んでいきます。その矢先、最愛の母が他界。悲しみにくれる増田さんは、かつての教え子から届いた一通の手紙に救われたのでした。
(1)教師とリポーター、2つの出発 ←今回はココ
(2)20代で出合った取材の原点
(3)現場での出会いが成長の糧になる

「ジャーナリスト」と名乗るようになるなんて、夢にも思っていませんでした。難民・移民の問題、大統領選挙などなど、知りたいことがあればいつでも現場に駆けつけて取材をし、執筆やテレビ出演などの形で発信する。これまでに訪れた国は40カ国になります。確かにそこだけを見れば、順調にキャリアを重ねてきたように思われるのかもしれません。驚かれることも多いのですが、私自身、正社員になったこともありませんし、仕事の依頼があったから取材に出かけるのでもありません。綿密な計画や人生の目標を立てることなく、私は自分の「野性のカン」だけを頼りに、そのとき自分がやりたいと思ったことや心が突き動かされたことに向かって、昔も今も生きてきたのです。何の保証もありません。勝手気まま、やりたい放題です(笑)。
ユリヤという名前は、キリスト教徒だった父と母が、クリスチャンネームをそのままつけたものです。当時としては珍しい名前ですし、名は体を表す、の言葉どおり、ちょっと変わった生意気な子どもでした。例えば、小学生の頃、皆がおそろいの絵の具セットを持っているのを見て「なぜ同じじゃないといけないの?」と疑問を抱く。私は家に別の絵の具セットがあったので、それを持っていったのですが、何となく違和感もありました。そんな私の様子に母は「人と違って何がいけないの? あなたはあなた。堂々としていなさい」と言う人でした。そんな母の考え方や生き方が、今の私の根っこにあります。
