人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。小説家、湊かなえさんの第2回。大学生活の最後に阪神・淡路大震災に遭遇、卒業旅行で訪れた東北で励ましの言葉に人々の温かさを感じます。就職後、憧れていたトンガ王国に海外青年協力隊として赴任。帰国後の結婚、出産、流産を経ていよいよ書くことに挑戦します。
(1)旅とアウトドアに熱中した学生時代
(2)トンガに赴任。31歳、執筆に挑む ←今回はココ
(3)産み出した作品に後悔はない

第2回となる今回は、23歳から32歳辺りまでのことを書こうと思います。
楽しかった大学生活もあと3カ月となった1995年の1月、阪神・淡路大震災が起こりました。阪神甲子園球場に近いぼろアパートに住んでいた私は無傷で助かったものの、サークルの仲間を数人失います。自分のようなどうでもいい人間は残り、才能あふれ、皆に愛される人たちが去っていく。人生は長さではなく、どう生きたかという濃さが大切なのだと、今でも思っています。
時間の流れに心が追い付かないまま、背中を無理やり押されるような感覚で、大学を卒業しました。それでも、卒業式の翌日から半ば強引に、同じ研究室だった友人と1週間ばかり卒業旅行に出かけたことで、わずかながらも気持ちに区切りをつけることができたように思います。
行先は東北でした。最初は北海道を予定していましたが、友人宅に避難させてもらっていた際、夜中に偶然見たテレビで、奥入瀬の雪景色に理由がわからないまま引き込まれ、どうしてもここに行きたいと、コース変更を頼んだのです。大阪駅から夜行列車に乗り、途中、船で函館に渡ったりしながら、東北を日本海側から1周しました。
氷に覆われた滝や白鳥が群れをなす湖など、数々の印象的な景色に遭遇しましたが、それよりも出会った人たちの温かさが強く心に残っています。関西なまりで話す私たちに、被災状況にはふれず、ただただ力強い励ましの言葉を明るくかけてくれました。頑張ろう、頑張れる。頑張らなきゃならない。