人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、ARIA読者にお届けします。『やまとなでしこ』『花子とアン』『Doctor-X 外科医・大門未知子』など数々のヒット作を手がけてきた脚本家・中園ミホさん。「仕事」に本気になれたのは、未婚の母になる覚悟を決め、出産したからでした。
(1)脚本家の前は、占いと競馬で生活
(2)恋に破れて脚本家を目指す ←今回はココ
(3)人生はバタ足。必死に泳いでいく
脚本家

「卒論の代わりに脚本を書きなさい」
学生時代、飲んだくれてばかりで卒論が進まない私に、ゼミの先生が言いました。そこで、その時点で人生最大の事件だった母のお葬式を舞台に脚本を書きました。すると、それが意外にも高く評価され、学内の賞をいただきました。これが、私にとって人生初の“脚本”。でも、当時はゆくゆく脚本家として生きていくことになろうとは、つゆほどにも思っていませんでした。
卒業後にコネで入社した広告会社はとても忙しく、ほかの社員は深夜残業も当たり前。でも、ダメOLの私だけは毎日定時退社でした。そんな中、同僚から「シナリオ学校に代理出席して、ノートをとってくれないか」と頼まれました。男性社員の代わりに行ったので、替え玉だとすぐにバレましたが、ここでも先生に言われます。「せっかくだから、脚本を1本書きなさい」。まあ、どうせ暇だから……と書いてみたら、これがまた褒められたのです。
不思議と脚本との関わりがありました。今思えば、神様が怠け者の私に「書け」と言ってくれていたような気もしますが、当時の私には創作意欲も脚本家への興味もありませんでした。シナリオ学校も、授業後の飲み会目当てで通っていたくらいです。
会社を辞めた後も彼らとの交流は続きました。そんなある日、皆で渋谷を歩いていると、50mほど先に男性の姿が見えました。人混みの中で、その人だけが光って見える。その瞬間、私は彼に恋をしました。