人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、ARIA読者にお届けします。モデルでタレントのアンミカさんの3回目では、タレント活動という新たなキャリアを切り開いた道程をたどります。
(1)骨折も割り箸で固定した貧乏生活
(2)モデルのキャリアを休止し韓国留学
(3)仕事への自信が結婚につながった ←今回はココ
モデル・タレント

韓国留学から帰国後、プロのファッションモデルとしての仕事が激減。時代に追いついていない自分を持て余していた私でしたが、32歳のとき、NHK大阪のキャスターオーディションに合格。『4時です 上方倶楽部』という平日夕方の帯番組に、アシスタントとしてレギュラー出演することになりました。このとき、モデル名の「アン」を本名の「アンミカ」に改名。仕事に死ぬ気で取り組もうという覚悟の表れでした。
NHKの番組では、人間国宝や浄瑠璃太夫など、その道を究めた方々にお話をお聞きしていたので、日々勉強でした。そして、この番組で、ドラマ『冬のソナタ』人気などの韓流ブームについて語るコーナーをつくっていただいたことで、民放の番組からも韓流についてコメントしてほしいというオファーが増えていきました。
その後、今春まで放送されていた関西ローカルの情報番組『ちちんぷいぷい』(毎日放送系)には立ち上げから参加させていただきました。一般のご家族をおしゃれに変身させたり、「日本一」をテーマにあらゆるジャンルを取材したりと、面白いロケをたくさん担当しましたが、最初は怒られてばかりでした。
食レポでは、「料理がおいしそうに見えない青い服を着てくるな!」と叱咤(しった)されたり。当時のプロデューサーがとても熱意のある方で、鍛えられました。また、韓国観光名誉広報大使に任命していただいたりと、在日コリアンの私だからこそお役に立てるお仕事も増え、まだ自分にも居場所があることを感じ、ありがたかったですね。