人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。ジャーナリストの江川紹子さんは、30歳を目前に新聞記者からフリーランスの物書きに転身。冤罪事件の取材に全力で取り組みます。記事を読んだという人から懇願されて紹介した弁護士が行方不明となり、オウム真理教事件に巻き込まれていきます。
(1)就活に失敗して地方新聞の記者に
(2)冤罪事件に全力で取り組んだ30代 ←今回はココ
(3)オウム事件と裁判傍聴で知ったこと
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⇒妹たちへ 江川紹子 就活に失敗して地方新聞の記者に
ジャーナリスト

神奈川新聞記者としての毎日は、充実したものではありましたが、封印していた疑問が、次第に頭をもたげてきました。
自分は、いったい何をやりたいのか……。
第一線の記者から、社内で記事をチェックする「デスク」となり、次第に管理職へと移っていく先輩たちを見つつ、自分にはそういう役割はとても務まりそうにないな、とも思いました。
29歳、何の準備もせずに新聞社を辞めた
このまま一生、ここで働くのかどうか、30歳になるまでには決めなければ。いつしか、そんな締め切りを自分に課していました。
そして、29歳になった年の年末に、私は新聞社を辞めました。ぎりぎりまで忙しく、辞めた後の準備は何もしていませんでした。退職していきなり暇になり、さてどうしよう……。
そんなときに、知人がこんな話を伝えてくれました。文藝春秋の『諸君!』という雑誌が、冤罪(えんざい)事件の実例を書くノンフィクション作品の書き手を探している、とのこと。私は、司法担当記者をしていたとき、1件の冤罪事件を取材していました。妻を殺したとして逮捕・起訴された男性が被告人。裁判で、実は妻は病死だったと明らかになって、被告人は無罪となり、検察も控訴せずに確定した事件です。
編集部に概要を伝えると、「では、書いてみてください」と言われました。書いた原稿は、400字詰め原稿用紙に手書きで20枚ほど。書き上がると、電車を乗り継いで編集部に届けました。
私の原稿は、元裁判官で当時北海道大学教授だった渡部保夫先生と、作家の伊佐千尋さんが、日本の刑事司法の問題点について語り合う対談に付随する読み物として、掲載されました。対談は、1回こっきりの企画のはずが、お二人が、日本の司法は問題点が多すぎて1回では語り尽くせないと意気投合されたため、1年間の連載になりました。
「そんなわけで、あなたも連載になったから」と編集者から告げられ、びっくり。それでも、もともと関心があったテーマでもあり、全力で取材を始めました。
やりたいことをじっくり考え直す間もなく、私はフリーランスの物書きとしての歩みを始めることになったのです。