人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。音楽、演技、バラエティーと多才に活動を続けるタレントのYOUさん。大事に育てられた「お嬢」でしたが、10代でモデルの仕事からラジオ、舞台、バンドと、サブカルの才能がひしめく世界に足を踏み入れ、大きな衝撃を受けます。
(1)普通の「お嬢」がサブカルに衝撃 ←今回はココ
(2)恐怖体験を抜けて得た仕事の楽しさ
(3)仕事も子育ても、コントと思えばOK

とっても大事に育てられて、わたしはだいぶ長い間、図に乗っていた。高校時代にようやくそれに気がつき始め、立ち位置と、立ち居振る舞いをゆっくりと修正し始めた。世の中には、自分よりだいぶ様々に長けている人が、とーっても多くいるらしい、ということ、ある部分においては、比べ物にならないくらいどーでもいい感じではあるけれど、ある部分ってことになると、まったく歯が立たない感じになってしまったりする、と、要するに、社会ってどーやら広くて、大変みたい、みたいな。
高校時代に気づいたというよりは、幼少から、それでもなんだかんだとやってきた中で学んだんだろう。3歳、好きで始めたバレエは、中1の時点で、どうしても超えられない女に出会ってしまった。容姿も実力も兼ね備えた彼女はプリマドンナ。4羽の白鳥をするには、わたしには協調性というものも足りてなかった。

あーあ、と思ってうっかり始めたテニスも、元から間違っていたかのように芽が出なかった。サーブはそこそこだったけれど、レシーブとラリーがひどかった。持続性にも恵まれてはいなかったので、完全前衛の道を選択してみたものの、レシーブを避けて通れるはずもなく、卒業と同時に卒業したと見せかけて、うまく引退した。
4歳から始めたピアノに関しては、夜想曲の後が、もう実は無理だった。要するにド素人どまりであった。火曜の夜、家で待つ、無駄にきれいなピアノの先生が、「もう無理です」と言ってくれるのを待ってみたが、そこはやはり母のほうが先に切り出した。
一生懸命やらなければならない水泳教室は、一度たりとも楽しんだ覚えがない。ただ、泳げるようにはなったから、まだよしとしよう。書道も、正座はできるし、まぁよしとしよう。そこはたまたま3段まで、やってりゃ書けるというくらい。絵画教室に至っては、もう最後には課題を無視するという暴挙に出て、破門という形を取らされたという。