人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、日経ARIA読者にお届けします。踊り手としての体の限界を感じ、44歳でバレエを引退した草刈民代さん。芝居の世界で表現を追求したいと新しい環境に飛び込みます。妥協をせず、納得いくまでやり抜く姿勢が諦めない気持ちを育て、現在の自分の土台になったと語ります。
(1)気分屋の自分が唯一没頭したバレエ
(2)映画に初出演、30歳で環境が一変
(3)44歳で女優に転身、今が出発点 ←今回はココ
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女優

ローラン・プティ、マイヤ・プリセツカヤにアーラ・オシペンコ。雲の上の存在だった憧れの方々に師事し、ルイジ・ボニーノなど一流のダンサーと踊るなかで、30代の私は自分の踊りを深化させていきました。時には、「この2日間で何があったの?」と公演を見た夫が言ったほど、踊りやたたずまいが日々変化していたそうです。超一流の方々の力を実感しました。
体の限界を感じ、36年のバレエ生活に終止符
「もう、“白鳥(の湖)”は、踊れない」
そう感じたのは41歳のとき。いつも通りジャンプしているつもりなのに、体が浮かない。数年前に左足に負ったケガが完治せず、身体のバランスがどんどん崩れてくる。年齢とともに、体の限界を確実に感じていました。
日本では、古典作品が踊れなくなると舞台に立つ機会が極端に減ります。21歳から150回以上踊ってきた『白鳥の湖』が完全に踊れなくなったことを悟ったとき、引退を決意。引退公演は国内11都市で14公演。2万8000人ものお客様に見ていただくことができました。
奥さんらしいことなど何もしない妻を、文句も言わず見守ってくれた夫や家族、応援してくださったファンの方々……。最後のカーテンコールが20分も続く間、感謝の思いがこみ上げてきました。そして44歳のとき、36年間踊り続けてきたバレエ生活が終わりました。
現役引退を意識し始め、その後の人生について考えたとき、なぜかふと、「芝居をやってみたい」と思いました。映画『Shall we ダンス?』はダンサー役だったから演じられた作品。映画に出演した後も、女優になろうと思ったことはありませんでした。それが「芝居をやってみたい」と思ったのは、私の中で「表現したい」という思いが強くあったから。正直、踊らなくなった後にバレエの世界に居続けても、自分が納得してやりたいことが見つかるかどうか、疑問がありました。それならば踊りとは違う世界で、どこまでできるか挑戦してみたい。そんな意欲がふつふつと湧いてきたのです。