人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、ARIA読者にお届けします。「伝説の家政婦」と名高い料理家タサン志麻さんの1回目は、料理好きの少女がフランスの三つ星レストランで修業することになるまでの道のりを振り返ります。
(1)初バレンタインは坂本龍馬へ ←今回はココ
(2)休み時間に点滴を打ち、店に出る
(3)料理家ではなく家政婦でいたい
家政婦・料理家

フレンチの料理人として15年、家政婦として5年、料理の仕事に携わってきました。私の料理好きは、子どもの頃からです。
育ったのは、自然豊かな地方都市。母は私に3歳から包丁を持たせ、料理を教えてくれました。山や海で遊ぶなかで、取ったつくしをつくだ煮にしたり、野イチゴでジャムを作ったり。遊びと食が常につながっている日々でした。小学生になると、放課後は外で遊ぶ代わりに料理。特にお菓子作りが好きで、週末にはクッキーを焼いたり、アップルパイやシュークリームを作ったり……。市から「お菓子名人」として表彰されたこともあります。
看護師の母は忙しかったはずですが、毎日いろんな料理を作ってくれました。食事作りが面倒というそぶりを見せることなく、料理本も楽しそうに読むんです。母の姿を見て、私も自然に料理を楽しむようになりました。
料理以外にも、ピアノや絵画や編み物など、母は私が興味を持ったことはなんでもやらせてくれました。しかも、母も一緒に。ピアノも一緒に練習して発表会に出ましたし、「英検を受けたい」と言うと、一緒に勉強を始め、先に母が合格したり。夏休みの宿題の写生も、2人で描きに行きました。帰り道、私の絵が風で海に飛ばされてしまい、学校には母が描いた絵を提出したことも(笑)。母は好奇心からだったと思いますが、私と一緒になんでも楽しんでくれることがうれしかったですね。