人生には思いもよらぬことが起きるもの。肩の力を抜いて柔軟に「私の生き方」を見つけていこう――。先輩たちが半生を振り返って贈る、珠玉のメッセージ。日経WOMANの看板リレー連載を、ARIA読者にお届けします。ポピンズ代表取締役会長 中村紀子さんの最終回は、介護事業に参入した背景やリーダーとしての心得を語ります。
(1)夫の会社倒産でアナウンサー復帰
(2)保育の岩盤規制改革に挑戦し続けた
(3)猛烈ワンマンだった私に社員は反発 ←今回はココ
ポピンズ代表取締役会長

保育の岩盤規制と戦い、夢中で仕事に没頭していた47歳の頃、父が倒れました。要介護になり、母とヘルパーさん、私とで交代で介護をした経験から、在宅ケアサービスの必要性を痛感。
その後、両親をみとった経験が、現在のオーダーメード型高齢者向け在宅ケアサービス「VIPケア」の原点です。
介護事業は1996年に参入しましたが、軌道に乗るまでは大変で、大企業であれば2~3年で撤退していたのではと思うほど採算が取れませんでした。それでもクオリティー重視で諦めずに続けた結果、今では多くのオファーをいただき、ビジネスとしても成長。有言実行まで20年かかりました。
一度始めたことは、よほどのことがない限りやめません。保育も介護も、このサービスを必要としている人がいると信じ、働く女性を支えるために、という一心で続けてきました。
35年前に会社を立ち上げて以来、経営者としての私は、いわゆるワンマンだったと思います。それも、強烈に。
保育所のコンセプトも内装も、オフィスのインテリアも自分で決めてきましたし、新規事業の企画書はほとんど自分で書いてプレゼンをし、社員には有無を言わさず指示。
その指示も、朝令暮改よりも早い、朝令“朝”改状態。間違えた方向に舵(かじ)を切ることが会社にとってはリスクですから、「違った!」と思ったらすぐに方向転換していました。行動と決断が早すぎるせいで、ついたあだ名が「(本社のある)広尾のF1」です(笑)。