マーラーの9番で連想した、すきやばし次郎の平目
私がクラシックの生演奏に心底圧倒されたのが、2017年のザルツブルク音楽祭で聴いた、マーラーの交響曲第9番です。21年に92歳で亡くなったベルナルト・ハイティンクの指揮で、演奏はウィーン・フィル。それはもう、桁違いの名演奏でした。
高齢のハイティンクは足腰が弱っていて、指揮するのも座ってでしたし、指揮といっても、要所要所で合図を出すくらいかしません。そんな指揮者に対して、弦楽器の最前列にいるコンサートマスター、第2ヴァイオリンのトップ、ヴィオラのトップ、チェロのトップの4人が何というか、物言わぬチームを組んで、ハイティンクの意図をもらさずキャッチして、アイコンタクトしながら音楽をつくり上げていったんです。
私は前から4列目に座っていたのですが、オーケストラには「ハイティンクがつくりたいマーラーを、俺たちは一挙手一投足もらさず再現するぞ」とでもいうようなすさまじい気迫が漂っていました。そして、ハイティンクが向かっているのは、完全に「天上」なんですよね。マーラーの9番というのはそもそも「死」を漂わせた作品で、第4楽章の最後は弱音で終わるのですが、その静謐(せいひつ)さは音楽を超越して、彼岸が現れたようでした。これが、再現芸術であるクラシックのすごさなんだと思いました。
あの感覚に匹敵するものは、「すきやばし次郎」の平目くらいしかないです。
音楽の感想や評価って、「あそこのフレーズの解釈がよかった」「ヴィオラがよく鳴っていた」などと、ディテール分析に行きがちです。それはグルメもそうなのですが、すきやばし次郎の平目って、分析じゃなくて「うまい!」という印象だけががーんと脳天に来るんですよ。ハイティンクのマーラーから受けた衝撃も、それに近い感じでした。
「ウィーン・フィルの演奏はいいよね」ってさんざん「信者」の人たちが言うのを聞いて、悪口言ってやろうと思っていたのに、いざ聴いたら「すごい!」ってなっちゃった。そんなところも、すきやばし次郎と似ています(笑)。
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取材・文/谷口絵美(日経xwoman ARIA) 写真/鈴木愛子
著述家、プロデューサー
