「老後資金をためなきゃ」「定年後も働けるようにスキルアップ」――私たちは「未来に備える」ことを善しとし、計画的な人生を礼賛しがちですが、未来のために今を犠牲にしていませんか? 世界に目を向けると、数カ月後に何をしているか不明だという「その日暮らし」の生き方をしている人々が多く存在しています。彼らの生き方から学べることとは? 今、最も注目される文化人類学者の一人である小川さやかさんが「その日暮らし、Living for Today」な生き方を考察する連載、いよいよ最終回です。

「この人、誰?」「さあ、玄関で拾った」
香港に住むタンザニア商人のボス・カラマと共にチョンキンマンションで過ごしていたときのことです。(カラマの詳細はこちら「敗者復活しやすい香港のタンザニア人社会 他動力が大事」)
ある日、仲間と一緒にカラマのホテルの部屋を訪ねると、知らないタンザニア人が部屋で寝ていました。驚いて「この人、誰?」とたずねると、「ついさっき玄関で拾ったんだよ(笑)」と答えが返ってきました。
タンザニア人たちは本当に誰とでも付き合います。自分自身が積み上げてきた能力や特殊な技術よりも、ときの運や人脈をあてにして、どうにかその日の経済を回す彼らにとっては、多種多様な人、つまりいろいろな立場の人や価値観の持ち主がネットワークにいるほうがいいし、顔ぶれが多彩であればあるほどいいと考えます。自分と違う人には、それだけ自分にはないアイデアがあり、可能性があるからです。
うまく付き合っていれば、もしかしたら自分にもその人を経由してチャンスが巡ってこないとも限らない。私からみれば、「いいかげん」に見えるし、うらやましくも思う生き方です。
というのも、もしも私が海外で道に迷ったり、宿がない、お金がないといった窮地に陥ったりしたとき、こうして誰かが助けてくれるだろうか、と思うからです。「同じ日本人だから」とか「なんか面白そうな人だから」といったざっくりとした理由で、誰かの厚意に預かることはできるでしょうか。親切な日本人は助けを求めたら応えてくれるかもしれませんが、見知らぬものの厚意に甘えることになんだか気後れします。
一方、タンザニア人たちは「大丈夫、大丈夫。どうにかなるよ。中国にも香港にもタンザニア人はいるし。いざとなったら誰かに頼ればいい」とか、「俺は人に好かれているから大丈夫だ」など基本的には前向き。その姿は自信にあふれて、楽しそうに見えることもあります。
この違いは何だろうと観察しているときに思い出したのは、人類学者・木村大治の『共在感覚』に出てくるコミュニケーションのとりかたの違いでした。