オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に、ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。
(上)長野五輪の金で「里谷フィーバー」 自我を通して失敗も… ←今回はココ
(下)36歳で引退、新人研修で3年頑張ると決意
日本中が大興奮した長野五輪での金メダル
―― スキー競技のフリースタイル・モーグルで冬季五輪に5大会連続で出場し、2013年に36歳で引退。所属のフジテレビに戻ってからもうすぐ7年がたちますが、今や社内でも「仕事ができる社員」と評判のようですね。
里谷多英さん(以下、敬称略)いや、まだまだ……。上司と同僚に恵まれているだけです。現在、総合事業局イベント事業センター・販売企画部に所属していて、主な仕事はイベントの企画・立案、イベントのプロデュース、チケット販売、協賛会社への協力要請などです。一からイベントを立ち上げ、それを成功させるためにはどんなスキームで、どういった人を動かせばいいのかと考えることが面白い。
何よりイベント事業センターは、目に見える形で結果が出るのでやりがいがありますね。仕事って、自分が今頑張っていることが会社にとってどんな功績になるのか、なかなか目に見えないじゃないですか。でも、今の仕事は入場者数、チケット販売数、あるいは売り上げなど数字で直接的に表れる。それが燃えるんですよね、絶対負けたくない、って(笑)。長年の現役生活で培った負けず嫌いな性格が、仕事にも出てしまうんですかね。
―― それにしても、1998年の長野五輪の金メダルは印象的でした。日本開催でしかも冬季五輪史上女子初の金だったこともあり、日本中が「里谷フィーバー」に沸きました。
里谷 私が大学生だった21歳のときですね。でも残念なことに、あのときの滑りは全く覚えていないんです。今も記憶はよみがえっていません。現役生活25年間でそれこそ数えきれないほど大会に出場しましたが、自分が滑った記憶がない試合が2つあるんです。
1つ目は、小学6年のときに全日本選手権で優勝し、そのご褒美で出場したパンパシフィック選手権。気持ちよく滑れたので「優勝したかも」と思っていたら、付き添っていた父に「転んだぞ」って。でも、転んだ記憶が全くないんです。後でビデオを見たら確かに転んでいたんですけど、その感覚が全くない。
だから、長野もフィニッシュしたときにまず思い浮かんだは「転んだかも」でした。
