明治や大正、昭和初期に建てられた建造物には、現代の建物とは異なる魅力がある。DJ・モデル・ファッションデザイナーとして多彩な顔を持つMademoiselle YULIA(マドモアゼル・ユリア)が、そんな近代建築をナビゲート。今回は、東京・目白の男子学生寮「和敬塾」の本館を訪れた。
明確なテーマを宿す、ユニークな趣向の数々
英国チューダー・ゴシック様式を基調とした和敬塾本館は、もともとは細川家第16代細川護立侯爵により昭和11(1936)年に建てられた華族邸宅。昭和30(1955)年、前川喜作により男子学生寮 公益財団法人和敬塾が設立された際、細川家より敷地約7,000坪および邸宅(現・本館)を購入し、敷地内に学生寮を建設した。 洋風の外観と反して、屋内には和室や東洋風の装飾が取り入れられ、この時代の特徴を表す折衷デザインとして、平成10(1998)年、東京都より有形文化財の指定を受けている。
設計は明治大学本館などに携わった大森茂と臼井弥枝が担当。各部屋の細部には、ユニークな趣向が凝らされている。1階は主に接客空間、2階は日常生活の場として使われていた。
玄関を入るとまず出迎えるのは大ホールの立派な大階段。手すりには法隆寺五重塔の高欄を模した、卍崩しと呼ばれる中国風のデザインが施されている。客間と応接室を経て続く、半円形にテラスへ突き出す特徴的な部屋は喫煙室。親しい人を通す部屋として使われ、「魚の間」と呼ばれていたそう。現在も残る、天井の回り縁にある投網のおもりを想起させるデザインが、「魚の間」の由来を表している。
「絨毯も大きな窓も大正浪漫のムードを感じさせて最高ですね。ここに座るだけで、当時のゲストの気持ちになれるような気がします(笑)」(ユリアさん)
内観でチューダー様式が最も表れているのが、「栗の間」と呼ばれる書斎だ。化粧梁、腰パネル、扉、造り付け棚などに名栗仕上げの栗材を使用し、荒々しさを演出している。粗い布に金泥を塗り、暗色の塗装を施した壁と、自然石風の暖炉からは重厚感がにじみ出る。