スゴい二刀流
-
1パナソニック参与&ピアニスト 「両立こそが私らしさ」
-
2スマイルズ遠山 アートと二刀流で目指す“新種の老人”
-
3本業×B面でどこにもないものを生み出す 電通Bチーム
-
4カーレーサー×事業家×教員 「どれも本職」 井原慶子←今回はココ
-
5宇宙飛行士試験ファイナリストの医師が次に進む法律の道
女性カーレーサーの草分けとしてF3や世界耐久選手権に参戦、2013年にはドライバーズランキングで女性の世界最高位を獲得した井原慶子さん。単身海外に渡ってキャリアを築き上げたトップドライバーは、事業家や日産自動車社外取締役といった別の顔も持っています。世界中を転戦する中で磨かれた、ビジネスの第一線でも生きる能力、そしてタフな世界に身を置く井原さんが重視する価値観とは?
成長求めて単身海外へ 悔しさが続ける原動力に
編集部(以下、略) 井原さんは大学時代にサーキット場で目の当たりにしたカーレースに圧倒され、自分もやってみたいと思ったのがカーレーサーを志したきっかけだったそうですが、初めから世界で戦うことを目標に置いていたのでしょうか。
井原慶子さん(以下、井原) やるからには、どこまでできるか本気で試してみたいとは思っていました。1999年、25歳のときに国内のレースでデビューして3位に入賞することができましたが、自動車の世界は男性社会。カーレーサーとして実際に活動していく中で、日本にいては速いスピードで成長することが難しいと感じるようになったんです。
そもそもレースに参加できないことも多かったですし、参加したときにも結果を出せなければ「女性にはやっぱり危ない」「女性だから運転が下手」などと言われました。じゃあ結果を出せばどうかというと、今度は「井原は○○さんの愛人で、車に特別なエンジンを供給してもらっているから勝てた」などと事実無根の風評。要は、結果を出しても出さなくても女性を認めない。そんな風潮がありました。
―― 経験を積みたくても、機会を得ることも、フェアな評価を得ることも難しかったんですね。
井原 あのまま日本で続けていたら、たぶん転職していたと思います。結果を出しても認められないところでどんなに頑張ってもモチベーションが続かないと思うので。
私はカーレースを始めたのが遅く、早くステップアップしないと周りに追いつくことができません。モータースポーツの本場のヨーロッパに行ったほうが早く成長できると考えて、渡英しました。
レースに参加するには、自分で所属するチームを探して交渉しなくてはいけません。英語も最初は片言でしたけれど、現地で勉強しながら1つずつ一人でこなしていきました。
もちろん、交渉しても断られたり、条件が合わなかったりすることも当たり前にあります。自分のレベルよりはるかに上の環境に飛び込んでいるので、悔しい思いや恥ずかしい経験もたくさんしました。でも、そういった感情こそが続ける原動力になるんです。そして、緊張感のある環境で結果が出せたときには相当な達成感が得られます。