ジェンダーギャップ解消へ 私たちができること
今よりもジェンダーギャップが激しかった時代に、女性初の日本IBM取締役に就任し、現在NPO法人・J-Win(ジャパン・ウィメンズ・イノベイティブ・ネットワーク)の理事長を務める内永ゆか子さんは、どのようにそのギャップを切り開いてきたのだろうか。特集の1本目では内永さんに、「組織の中ではずっと女性一人で、男性社会ならではの振る舞いを観察してきた」という自身の経験や、ARIA世代の女性たちへの提言をインタビューした。
「エグゼクティブにならなかったら、今まで苦労した意味が無いじゃない?」と言う内永さんが、そう考えるようになったきっかけは、米国人上司からかけられたある言葉だったという。
女だから部長くらいまで、と思っていた
―― 日本IBMで女性初の取締役に就任し、その後ベネッセやベルリッツでCEOなどを務めた内永さんですら、30代の頃は「部長くらいまでいければ」という考えだったそうですね。
内永ゆか子さん(以下、敬称略) 私が課長になったときは会社中大騒ぎで、どこに行っても珍しい女性として目立っていました。ある日、アメリカ人の男性上司から「君は定年で会社を辞めるとき、どの地位になっていたいのか?」と聞かれて、課長でこれだけ騒がれるならと「部長くらいでしょうか」と言ったら、「その程度でいいのか」と笑われましたね。「それなら、ヴァイスプレジデントに」と恐る恐る言うと、「いいんじゃない?」と。それが32、3歳のときです。
そこから5年刻みで、定年の60歳までのキャリアプランを作り上げて実行してきました。ただ、私がもし男性なら、初めから社長と言っていましたね。同期でそう言う男性は山ほどいましたから。
―― 内永さんが、キャリアの中で最もジェンダーギャップを感じたのは、いつでしたか?
内永 IBMにいる間はずっと感じていましたが、最も印象的だったのが、世界中から女性エグゼクティブが集まる会合でスピーチを求められたときのことです。「No more feel lonely」、たった一人だと思わずにいられることがうれしいと言うと、会場がワッと沸きました。会社ではいつも女性一人で、ずっと自分が肩肘を張っていたことに改めて気づきました。毎日嫌な思いをしても、負けてなるものか! とハリネズミのように気を張ってる状態が、普通になっていたんですね。
―― 女性エグゼクティブ同士のつながりはあったのですか?
内永 各国のIBMの女性エグゼクティブのネットワークは大きな支えでした。私がニューヨークに行くと、どんなに忙しくても米IBMの女性エグゼクティブがランチの時間を取ってくれるので、「なぜ多忙な中で私に時間を取ってくれるの?」と聞くと「それが私のgive backだから」と。自分が上の人にしてきてもらったことを、今度は若い人に恩返しすべきと考えているのです。自分もそうあろうと心がけてきたことが、2007年にJ-Winを設立した動機の一つでもあります。
