これからの家族のカタチ
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1家族消滅時代に突入!私たちの家族はどこに向かう?
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2「卒婚」で人生後半の「自分らしい幸せ」を考えてみた
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3同じマンションの別部屋に暮らす「友達近居」が心地いい←今回はココ
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4不妊治療、死産を経て43歳で「養子」という決断
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5「弁護士夫夫」と考える 同性婚、家族と法、家族と愛
2015年の国勢調査によれば、75歳以上の女性のおよそ4人に1人は独居生活を送っています。既婚であろうが未婚であろうが、子どもがいようがいまいが、令和の日本では「老後の1人暮らし」が特別なことではありません。とはいえ、1人の老後に不安を覚えるARIA世代も多いはずです。そんな思いを抱える人の参考になるのが、兵庫県で「同じマンションの別の部屋」に住む「友達近居」を始めて12年になる女性5人の暮らし方です。
「へんてこりんな冒険みたいな生活は、一つのチャレンジです」という彼女たちは、どのような距離感で関わり合って暮らしているのでしょうか。5人が暮らすマンションを訪ねました。
共通点は「ずっと働き続けて今は1人」
―― 皆さんが2008年から始めた「友達近居」とはどういうものですか?
田矢きくさん(以下、敬称略) 兵庫県尼崎市にあるマンションにそれぞれが部屋を購入して、個人個人が自立しながら助け合って暮らすという生活です。当初は7人でスタートしたので、このグループを「個個セブン」と名づけました。始めた当時の年齢は全員が60~70代。独身、死別、離婚と境遇はそれぞれですが「ずっと働き続けてきて今は1人」」というのが共通点です。
現在、ここで暮らしているのは私(元企業の広報室長で現在はNPO代表)のほか、一ノ坪良江さん(コピーライター)、川名紀美さん(元新聞記者で現在はジャーナリスト)、安田和子さん(女性問題専門心理カウンセラー)の4人。市川禮子さん(社会福祉法人名誉理事長)は近隣にある自宅からの「通い」メンバーです。同じく「通い」だった方がもう1人いましたが、介護が必要になったので自宅での生活になりました。東京出身のもう1人は、今後を考えた上で1年前に部屋を売却し、地元に戻られました。
―― どういう経緯で近居生活を始めたのでしょうか。
田矢 市川さんと私ともう1人の友達で、2002年くらいに「一緒に暮らせたら、老後の暮らしが楽しくなるわね」と話が盛り上がったのがきっかけです。市川さんは社会福祉法人で介護施設をいくつも建ててきた経験があるので、それなら10人くらいで住めるコーポラティブハウスを建てよう! ということになり、土地探しを始めました。同時に同世代のシングルの友人たちに声をかけ、興味を持ってくれる人を集めました。
ですが、「駅近、生活に便利、平地で閑静」というみんなの希望条件を満たす土地が見つからず、建設費もかなり高額になってしまうことが分かって。2007年秋、計画を見直さねば、と思ったとき、たまたまこのマンションの広告を目にし、即モデルハウスを見に行きました。各自が部屋を購入する形なら無理なく近居が実現できると思い、みんなに連絡したところ、翌日、全員が見てすぐ決まりました(1人だから、誰に相談する必要もなかった)。
川名紀美さん(以下、敬称略) メンバーはほとんどがもともとの友人ではなく「はじめまして」から始まりました。土地探しをしている間、みんなで食事や旅行をしたり、勉強会を開いたりしてそれぞれの価値観や人となりを知り合う機会をつくったんですよね。そういう時間を持てたのがよかったんだと思います。
一ノ坪良江さん(以下、敬称略) 私は実家で母の介護を終えた後、マンションで1人暮らしを始めましたが、寂しくて寂しくて。親戚はたくさんいて関係も良好ですけど、何かあったときに世話をかけるのは嫌だなと思っていたんです。みんなのことを知るうちに、何か問題があっても理性的に話し合って解決しようとする方たちだから大丈夫だな、と思って入居を決めました。
安田和子さん(以下、敬称略) 私は母を見送って1人暮らしになり、ちょうど自宅をリフォーム中に声をかけていただいたので、最初はお断りしたんです。でも、近くに親戚や家族がいないし、みんなで支え合う暮らしがとても魅力的だったので、仲間に入ることにしました。
市川禮子さん(以下、敬称略) 私は娘が2人いて近くに住んでいます。2人とも仕事を持っていますので、家族に気を遣うことなく、自立して最後まで1人で生きたい、同世代で気の合う友達と暮らすほうがいいという考えでこの生活を始めました。
