これからの家族のカタチ
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4不妊治療、死産を経て43歳で「養子」という決断←今回はココ
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5「弁護士夫夫」と考える 同性婚、家族と法、家族と愛
不妊治療をしてもなかなか子どもを授からない夫婦がいる一方で、さまざまな事情で家庭で養育を受けることができない子どもたちも増えています。日本ではまだなじみの少ない「特別養子縁組」という選択肢。これからもっと増えていく「家族のカタチ」かもしれません。不妊治療を経て、特別養子縁組で長男を迎えた池田麻里奈さんを取材しました。
不妊治療で2回の流産、そして36歳で死産を経験
30歳で不妊治療をスタートした池田麻里奈さんは、不妊治療のつらい経験から不妊カウンセラーとしてピアカウンセリング(同じ体験をした人がカウンセラーとなり相談者に寄り添ったカウンセリングを行う)の相談室「コウノトリこころの相談室」を主宰。そして2019年、特別養子縁組で長男を迎えました。
―― 不妊治療をしていた池田さんが養子について考え始めたきっかけは何でしたか?
池田麻里奈さん(以下、敬称略) 養子という言葉を最初に意識したのは、まだ不妊治療をしていた34歳のころです。不妊治療の取材を受けたとき『養子は考えていないんですか』と聞かれたんです。そのときは『養子を迎えるのって日本でもできるんですか?』と聞く程度の知識でした。そこからカウンセラーという職業もあって情報を集めるようになったんです。当時、夫に「養子ってどう思う?」と聞いたら、「40歳までは不妊治療を頑張ろうよ」と言われました。そのころは妊娠した経験もあったので、まだ実子を授かるチャンスはあると思っていたんですよね。
―― 不妊治療はやめるタイミングが難しいとよく聞きますが、池田さんの場合はどうでしたか?
池田 2回の流産を経験した後、36歳でようやく授かった赤ちゃんを死産しました。その頃から少しずつ不妊治療から気持ちが引いていったんです。それまでと同じペースでは続けられなくなり、生活を楽しむほうにシフトしていきましたが、「夫と二人で子育てがしたい」という思いは捨てられませんでした。
それで、養子のことも考えてみようと、毎年4月4日「養子の日」に開催されるイベントに2人で出かけました。体験談も聞けていろいろな情報は集まりましたが、やっぱり不安がないわけじゃない。自分の子を育てたこともないのに他人の子を愛せるんだろうかという迷いはありました。
池田 養子を迎えたいと気持ちが具体的に大きく動いたのは子宮全摘の手術を受けたときです。