部長の壁
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銀行からグループ会社に出向して14年、2016年に50歳で本体に呼び戻され、その後女性初の法人営業部長に就任――。現在は取締役常務執行役員を務める千葉銀行の淡路睦(むつみ)さんの銀行員人生は異例ずくめだ。女性に任される業務が限定的だった時代を乗り越えて要職に登用されたとあれば、さぞ強い意志でキャリアを築いてきたのではと思いきや、「もともとは、とにかく定年まで働くことしか考えていなかった」。法人営業の経験ゼロで法人営業部長を務めることになった淡路さんは、どうやって「自分にできること、すべきこと」を見いだしていったのか。
仕事に対する望みは「定年まで働くこと」のみだった
編集部(以下、略) 淡路さんは、千葉銀行のグループ会社であるちばぎん総合研究所(ちばぎん総研)に、50歳までの14年間出向していたそうですね。某ドラマのイメージかもしれませんが、その年齢で出向先から銀行本体に戻るのは、とてもレアケースなのかなと……。
淡路睦さん(以下、淡路) まずないと思っていました。当然定年までちばぎん総研で働くつもりでした。
―― 銀行への復帰だけでも異例なのに、その後法人営業部長に登用と、すごい展開です。そもそも、淡路さんが銀行を志望した理由は何だったのでしょうか。
淡路 正直言って、「銀行」で働きたかったわけではないのです。就職活動をするに当たって念頭にあったのは「定年まで働き続けること」の1点だけ。というのも、父が既に亡くなっていたので、早く経済的に自立したかったのです。たまたま大学の先輩が千葉銀行にいて、会社の様子や転勤も県内だけという話を聞いたので、長く働けそうだと思ったのが決め手でした。
だから、仕事に対する夢みたいなものは何もなかったです。同時に、若い頃に抱きがちな「これは私がやりたい仕事じゃない」みたいな不満を持つこともありませんでした。
私が入社したときは総合職と一般職のような区分はなかったのですが、同じ大卒でも、男性は幅広い仕事の機会があったのに対し、女性は営業店で住宅ローンや個人のお客様の相談窓口を担当するなど、就ける仕事が限られていました。私は初めに外国為替、その後住宅ローンなどをやりました。
―― 長く働き続けようと考える上では、昇進などのステップアップは意識していましたか。
淡路 営業店にいた頃は、キャリアについて長期的に考える余裕は全くありませんでした。20代で結婚して子どもが2人いたので、日々の仕事をこなして保育園へお迎えに行くので精いっぱいだったんです。出向する直前は行内でも規模が大きな支店にいて特に仕事量が多く、どうしてもお迎えに間に合わない。夫も勤務先まで遠かったので、ベビーシッターにお迎えをお願いして、私が帰るまで家で見ていてもらう「二重保育」を何年もしていました。
そういう生活をこの先も続けることに限界を感じていたときに、グループ会社のシンクタンクであるちばぎん総研で女性研究員の社内公募があり、応募しました。このときの選択もやはりずっと働き続けたいという思いからでした。