部長の壁
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感光材(半導体の製造に用いる材料)で世界シェアトップの東洋合成工業。同社の急成長を支えるキーパーソンが、感光材事業部部長の平澤聡美さんだ。48歳で同社に転職し、7カ月後には部長に就任。保守的で男性中心の業界ゆえ、さぞや苦労があったのでは? と向けると、「もともと理系で、社会人になってからずっと周りが男性ばかりの環境。その点を意識することは特になかったです。とはいえ、私のような存在は“珍獣”扱いなんですけどね」と笑う。平澤さんの部長の壁、そしてその突破法とは?
部下の「指示待ち」体質を改善するために
編集部(以下――) そもそも転職時から「いつかは部長職に」という話があったのでしょうか?
平澤聡美さん(以下、平澤) 「できれば」「ゆくゆくは」という話はありましたが、まずはお互い様子を見ましょう、という形で、転職時はシニアセールスマネージャーという上位の営業職でした。その後7カ月後に、事業部長に就任しました。
これまでの転職経験から、「だいたい3カ月で手応えを感じられれば、その会社でうまくいく」という肌感覚を持っていました。当社が手掛けている事業は、新卒で入社したNECでの仕事の上流部分に当たります。自分のフィールドという感覚もあり、早い段階から手応えを感じることができました。入社当初、顧客が工場を訪れる「監査」の現場に多く同席したのも、仕事の流れを把握、理解するのに大いに役立ちましたし、工場のメンバーともいち早く知り合うことができました。
ただ、事業部長に昇進し、部下が0人の状態から約70人を束ねる立場になって直面したのは、メンバーの「指示待ち」の体質でした。
当社は創業者である会長がいわゆるカリスマ経営者で、「強力なリーダーシップに付いていけばうまくいく」という成功体験が社員にありました。
しかし、その結果、成長して組織が大きくなっているのにもかかわらず、社内では上司の指示を待つ人が多く、顧客に対しても、「言っていただければ何でもします」という姿勢。具体的な指示をしてもらって動くという体質が浸透したままだったのです。顧客から「もっと提案をしてほしい」という要望も出てきていて、メンバーそれぞれが考えてアイデアを出し合い、成長し合える組織に変えていかなければならないフェーズに来ていたんです。
―― その体質を変えるのは、ハードルが高そうです。
平澤 当初はなかなか理解してもらえず、プロジェクトを立ち上げて顧客に提案していこうと言っても「そんなことをして意味があるんですか」という、かみ合わない状態でした。一緒に考えよう、と言っても「答えを言ってくれないのは、上司ではない」と言われたこともあります。それまでの社内文化を考えれば、致し方ありません。