「やめる」で人生が面白くなる
システムエンジニアとして仕事にまい進し、社内で女性初の管理職に昇進。パワフルに働きつつ稼いだお金で趣味に海外旅行にと自分の時間も満喫していた林輝美(てるみ)さんは、44歳のときにこれらをすべて手放して、国際結婚でトルコへ移住しました。それから25年。「もともと結婚には興味がなく、このままの路線でこれからも楽しく生きていくつもりだった」林さんがいかにして大胆な決断に至ったのか、当時を振り返ってもらいました。
社内で女性初の取締役になることを期待されていた
編集部(以下、略) 林さんは今から25年前に、人生が一変する「やめる決断」をしたそうですね。
林輝美さん(以下、林) はい。44歳のときに都市銀行系システム開発会社の管理職の仕事をやめ、17歳年下のトルコ人男性と国際結婚をしてトルコへ移住しました。以来、夫と2人でトルコのイスタンブールで暮らしていますが、あのときすごく大きなものを日本に置いてきて、今に至っているという気持ちがあります。
もともと私は結婚に全く興味がありませんでした。仕事をするのが好きで、稼いだお金で好きなものを買って、年に3回海外旅行に行って、習い事もたくさんして。そういう生活に満足していましたし、この路線でずっと行くつもりでした。会社でも女性初の取締役になるだろうと期待されていたんです。だから、「寿退職」すると言ったらまあ、驚かれましたね(笑)。人生、何が起きるか本当に分からないです。
―― いきなり気になる情報だらけですが……まずは、結婚前までのキャリアについて教えてください。林さんの世代は、女性が働き続けるに当たって大変なことも多かったのではないでしょうか。
林 そうですね。私は会社を移りつつ、システムエンジニアとしてキャリアを積んできましたが、周囲の女性は結婚などでどんどんやめていきました。コンピュータ業界はものすごく残業が多くて、体力的にもハード。お客様から受託しているシステムの運用中にトラブルが起こると、開発部門は夜中でも対応したり菓子折りを持って謝りに行ったりしていました。でも、そういう生活がつらくてやめたいとは全く思いませんでした。
私は社内で女性初の管理職でしたが、もともと積極的に前に出て行くタイプではないんです。大学を卒業して社会人になったのは1975年。当時はただでさえ大卒女子の求人は限られていたのに、私はのんきに構えていて、大学の成績もあまりよくなかったので、就職活動では応募しても書類ではねられてばかりでした。何とか見つかったのがシステム開発の会社で、プログラマーとしてゼロからスタートすることになりました。
この会社では、男女で昇格に明確な差がありました。