キャリアの夏休み
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岡山県に住む中嶋佳乃子さんは、新卒入社以来20年以上勤めていたベネッセコーポレーションを2020年3月に退職、2年間の「自主的サバティカルタイム」を取りました。サバティカルとは、「大学教員や、企業に長期間勤務する人に与えられる使途に制限がない長期休暇」のこと。日本で企業が制度として導入しているケースはまだわずかです。会社員の立場を手放してまで、次へ向かうために年単位の充電期間を取ろうと決めたのはなぜ? そして2年間をどのように過ごし、そこで得たものとは。「キャリアの夏休み」を糧にして、新たなステージへと踏み出した中嶋さんに話を聞きました。
会社員の延長線上に、定年後の人生が思い描けなかった
編集部(以下、略) 中嶋さんは2年間の「自主的サバティカルタイム」を終えて、起業したばかりだそうですね。
中嶋佳乃子さん(以下、中嶋) はい。2カ月前に、「Canokoto」という株式会社を設立して、ひとり社長になりました。主な事業は、企業を対象とした人材開発や組織開発のコンサルティング。個人のキャリア相談に乗ることもあります。
会社員の次のステージでどんな仕事をするかを決めるにあたっては、サバティカルタイムにさまざまな経験ができたことがすごく大きいです。
―― そもそも退職が大きな決断だと思うのですが、何がきっかけだったのでしょうか。
中嶋 会社員としてこのまま65歳まで働き続けることを想像したときに、その先の人生が思い描けなかったんです。定年を超えても楽しく働きながら人生を過ごせる道って何だろう、次のステージに進むのなら、少しでも若いうちに行動しないと……じゃあいつ辞めるのか? という感じでした。
私は子どもの頃から算数や数学が好きで、大学でも数学を専攻し、数学教育に関わる仕事がしたくてベネッセに就職しました。数学の問題を作ったりすることは楽しく、自分の強みでもあると思っていましたが、会社員ですからもちろん数学の仕事ばかりできるわけではありません。
だんだんと「やりたいこと」から遠ざかっていく中、30代後半で娘を出産し、復職して半年で管理職に昇進。それ自体はうれしかったのですが、この頃が会社員生活の中で一番つらい時期でした。
昇進と同時に配属されたのは英語を日常的に使う部署で、初めて取り組むチームマネジメントが手探りだった上に、英語がペラペラのメンバーの中で課長の私だけ英語が苦手。保育園のお迎えがあるので仕事ができる時間も限られている。気持ちにどんどん余裕がなくなり、「私はこんなふうに仕事がしたかったんだっけ?」「自分は何かの役に立っているのだろうか」と、モヤモヤがたまっていきました。
そんな行き詰まった状況を打開するきっかけを求めて参加したのが、地元の起業家を発掘・育成する「岡山イノベーションスクール」。ここで外の空気を吸ったことが、退職につながる一つの転機になりました。