“自分ブランド”はこう築く
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58歳の誕生日を迎える前日に富士通を早期退職し、1年後の2018年に女性のセカンドキャリアを支援する会社を立ち上げた西村美奈子さん。40代半ばから定年後を意識し、着想から10年以上かけてセカンドキャリアを歩み出しています。会社員時代の本業とは異なるキャリア領域で、西村さんが築いている自分ブランドとは?
「今の仕事がなくなったら、何をして生きていこう」
編集部(以下、略) 西村さんが起業を意識したきっかけは?
西村美奈子さん(以下、西村) 40代半ばで定年を意識したときに、「今の仕事がなくなったら私は何をして生きていこう」ということが不安でした。キャリアの終わりは自分で決めたい。定年後も働き続けるために、選択肢の1つとして起業も考えるようになりました。
―― 会社を辞める決断をしたのは57歳のときだそうですね。その後59歳で起業しています。なぜ、このタイミングになったのでしょう。
西村 退社を決めたのが2017年5月。同年12月に会社を辞めて約1年後に起業したので、実質の起業準備期間は1年7カ月ですが、構想からは10年以上かかったともいえます。
40代の頃から女性のセカンドキャリア支援に関わる仕事がしたいという漠然とした思いを持っていましたが、やりたいテーマはあっても方向性が定まっていなかった。周りの同僚には女性の先輩がいなくて、唯一の同期も専門職にキャリアチェンジしていたので、近い視点で定年後の働き方を相談できる人がいなかったんです。
富士通グループ企業の情報システム部長だった50代前半に、大手IT企業の有志が集まるコミュニティに参加する機会があり、その後、昭和女子大学学長・坂東眞理子(現在は同大学総長・理事長)さんとの出会いなどから、新しい気づきを得たことが、起業の大きなヒントになりました。16年からは仕事のかたわら、昭和女子大学現代ビジネス研究所の研究員として定年前後の女性のセカンドキャリア研究に携わり、研究活動が面白くなってきた頃に「研究だけをしていてはだめ。社会に生かしなさい」と坂東先生から背中を押されました。
―― 会社の外に目を向け、活動範囲を広げることで道が開けたのですね。
西村 30年以上勤めている間には、会社を辞めようと思ったタイミングが何度かありました。管理職として配属された部署で、上司や部下たちと衝突して孤立したことも。でも、辞めずに続けているとまた面白い仕事に出合えたりするんです。退職後のビジョンを具体的にイメージできないまま考えている時期が長かったので、結果的に50代後半での起業になりました。
―― 富士通時代に築いたキャリアとは全く別の分野での起業です。会社の看板には頼れませんが、自分のブランドをどう築いていますか?
西村 理想をいえば、世の中で「働く女性のセカンドキャリア支援といったら、西村さん」となること。いきなりそれはハードルが高いので、まず「西村といえば働く女性のセカンドキャリア支援」というところから始めています。自分が大切にしているテーマにこだわり、情報発信をしていくことで、ブランドはつくられていくのだと思います。
前職とは異業種で起業しているので、業界での実績が豊富だったり、複数の取引先と信頼関係が築けていたりする状態からの起業とは違います。多くはないつてを1つひとつたどりながら、営業先の紹介や信頼のおけるビジネスの協力者との出会いにつなげていきました。友人や元上司といった人的ネットワークはありがたい存在です。
―― 管理職経験がある女性は、自社の役員や他社の管理職といったキーマンと仕事を通じて接する機会をつくりやすいのではと思います。それが起業する際の強みになりますか?