買う? 借りる? 実家をどうする?人生後半の「家」問題
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今は両親が住んでいる実家も、いずれは空き家になってしまう。せっかく親が建てた家だし、思い出もたくさんあるし、どう処分すべきかという問題に直面している人は多いのではないだろうか。特に地方に実家がある場合は悩みが深い。タレントの松本明子さんは、長らく維持してきた香川県高松市の実家をついに売却し、数々の失敗体験を書籍として出版した。なぜ長く空き家のまま維持したのか、その費用や売却の苦労など、改めて詳細に語ってくれた。
高松の高台に父が建てた夢のマイホーム
編集部(以下、略) 実家じまい、お疲れさまでした! 無事売却されたそうですが、お父さんのこだわりが詰まった家だったとか。
松本明子(以下、松本) 父が香川県高松市郊外に家を建てたのは1972年です。それまでは借家に住んでいましたが、誰もが夢のマイホームを建てた時代ですよね。当時建設会社に勤めていた父は、日本の高度経済成長を背景に羽振りがよかったことを覚えています。
父のこだわりで宮大工さんに木組みの伝統工法で造ってもらった総ヒノキの平屋でした。90坪(約300平方メートル)の土地と建物で3000万円弱かかったと聞いています。高台の土地は目の前が屋島で、源平合戦で那須与一が矢を放ったといわれる景勝地です。でも大変でした。当時私は小学校に上がったばかりで、通学のために山道を30分ほど上り下りするのですから。
松本 父はこの家をいずれ私か兄に継いでほしかったのでしょうが、2人とも東京に出てしまったんです。私は中学卒業のタイミングで上京し、芸能界に入りました。10年ほどたって仕事が軌道に乗り始めた27歳のときに、親孝行しようと両親を東京に呼んで一緒に暮らし始めました。そのとき父は60代半ばで定年退職しており、家のローンも既に完済していました。
両親もいずれは高松に戻るつもりだったのでしょうし、芸能界は浮き沈みがあるので、娘が帰れる場所として実家はそのまま置いておこうということになりました。
両親が60代で元気な頃は年に何度か2人で高松に帰って家の風通しをしたり庭の剪定(せんてい)をしたりしていましたが、70代になると体力的にしんどくなってその頻度が減っていました。
10歳ほど年上の兄は高校卒業後に東京に出ており、そのとき既に家を買っていたので、実家は継がないと宣言していました。そのため父は私に「高松の家を頼む」と言っていました。
これは後から聞いた話ですが、父は家を私に譲ると決めてから、兄に財産分与をするつもりで生命保険の受取人を兄にしていたそうです。当時、父は家の価値を2000万円くらいと考えていたので、その半分くらいの額が兄に渡るようにしていました。
ところが実際には、実家の価値はとんでもなく下がっていたのです。そのときは知るよしもありませんでした。