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「このまま会社員生活を続けて、60歳を過ぎ、70歳になった時に自分の居場所はある?」――大学卒業後、野村証券に一般職で就職。以来、一貫してサラリーマンの資産形成に関わる仕事に22年間従事し、45歳で大企業の安定を手放した大江加代さん(53歳)。思い切って「会社を辞める」という選択をした大江さんは、パン屋でのパートなどを通して、食に関わる仕事を模索します。ですが、3年後、再び「ホームグラウンド」である金融の世界に舞い戻りました。その理由とは? 確定拠出年金のスペシャリストとして活躍するまでの道のりと、これからを聞きました。
43歳で15歳の年の差婚。おひとりさまの老後がリアルな問題に
―― 野村証券で多くの上場企業の資産形成制度の立ち上げに携わり、社内での評価も、確かな収入もありながら、45歳で退職を決意。その理由を教えてください。
大江加代さん(以下、敬称略) 会社では一貫してサラリーマン向けの資産形成を担当してきました。確定拠出年金の制度設計のコンサルティングをしていると、担当企業の給料やボーナス、退職金水準なども分かります。さまざまな会社の報酬体系に触れるにつれ、「私はもらっている給与に相当する価値を世の中に提供できている?」という疑問を感じるようになったのです。
加えて会社員でいる間は、安定したお給料をもらえても、定年で会社から放り出されたら居場所がなくなるという不安感がありました。それより自分が好きなこと、やりがいを感じられることを通じて、70歳になっても居場所がある、関われる場所があることが幸せだと思うようになったのです。
―― それにしても、40代で定年後を意識するのは、早いですね。
大江 38歳で離婚を経験したので、40歳の頃には「母になることがない自分」を受け入れ、一人で迎える定年後の暮らしについても考え始めていました。その後、縁があって15歳年上の大江(経済コラムニストの英樹氏)と再婚したのは43歳のときです。おひとりさまの老後が別の意味でリアルな問題になりました(笑)。
私が45歳のときに、夫がちょうど定年を迎えて夫婦で先のことを考える環境でもあったのです。5年かけて50歳までに次の居場所を探そうと決め、昔から「食」に関心があったので、食に関する活動を始めることにしました。
―― 退職後、証券会社とは一線を画した立場で情報発信をする会社を夫の英樹さんと立ち上げました。会社が軌道に乗るまで、加代さんは野村証券で安定した収入を確保しながら、次の居場所を探すという選択はなかったのですか。
大江 当時は長時間労働が珍しくなく、会社員として働きながら他のことをする時間の余裕はありませんでしたし、副業も認められていませんでした。性格的にも器用なほうではないので、まず会社を辞めて起業したばかりの夫をサポート。野菜ソムリエ(当時のジュニアコース)は取得していたので、プロコースを取得して仕事につなげたいと思っていました。
年の差婚ですし、一緒にいられる時間はそれほど長くない。濃い時間を過ごしたいし、苦労を一緒に乗り越えることは2人の財産になるという思いもありました。経済的に、2人で同時に辞めても暮らしていけるかは事前に何度もシミュレーションをしました。それでも、実際に辞めてみると不安が募りました。会社という組織の中で認められ、報酬も得ていることが存在感、アイデンティティーになっていたのだと思います。