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「50歳でライフシフトをする」、「会社員としてではなく、自分という存在で社会に対して何ができるか」――長年抱えていたこの思いから、新卒以来31年間勤めた東急を辞め、民間による公益活動や地域社会の課題解決を支える世田谷コミュニティ財団の常務理事に転じた白鳥奈緒美さん(54歳)。プロボノ(専門知識や能力を生かしたボランティア)活動や社会人大学院での学び直しなど、辞めるまでに準備したことや考えたこと、そしてこれからの展望を聞きました。
「50歳でライフシフトをする」と決めていた
―― 白鳥さんが31年間勤めた東急を辞めた理由から教えてください。
白鳥奈緒美さん(以下、敬称略) 40代中盤から「50歳になったらライフシフトをしよう」と決めていました。48歳の頃には、当時の上司に「50歳になったら会社を辞めます」と言っていたくらい。いろいろなタイミングが折り重なって、50歳ではなく結果的に54歳で辞めることになりました。
―― 今からおよそ10年前にライフシフトを考えていたとは早いですね。『LIFE SHIFT――100年時代の人生戦略』(リンダ・グラットン著)が出るだいぶ前ですよね。
白鳥 「ライフシフト」という言葉はまだ使われていなかったですね。楽しい仕事をたくさん任せてくれた会社には感謝していますし、二人の子育てをしながら管理職も務めることができ、会社員人生としては恵まれていると思う一方で、正直なところ、私には好奇心はあっても野心がありませんでした。今振り返れば、そこまで仕事にのめり込んでいなかったのでしょうね。
もう一つ、38歳でがんを患ったことが会社との距離感を考えるきっかけになりました。病気を乗り越えることはできましたが、会社や仕事に人生をかけて働いている同僚を見て、「私はあんな風に仕事人生を走破できない」と思うようになったんです。
50歳にもなれば組織内で上に行く人、行かない人が見えてきます。そして、上に行く人を除けば「これくらいのステージですね」というモデルを会社側が用意しているのは分かっていて。私は天邪鬼なので、なんとなくそこに当てはめられるのは嫌だ、とも思っていました(笑)。
そうであれば、広い目で見たときに「会社員」としてではなく、「自分という存在」で社会に対して何ができるんだろう、「自分にとって楽しいこと」はいったいなんだろうと考え始め、もう会社は辞めてもいいかな、と思うようになりました。二人の娘にいろいろな生き方があるということを見せるのも、たとえ失敗しても面白いかなと。
なおかつ、私の祖父母は長寿で90歳くらいまで生きました。昔は55歳で定年。ものすごく長い余生を送るのを見ていたんです。私に置き換えれば、60歳で定年を迎えたとしても、死ぬまでまだ30年ある……ということが頭にちらついていた。そう考えると、早いうちにポジティブに変わりたい。会社を一回辞めてリセットすれば、人生を2度楽しめるんじゃないか、と。
―― 東急を辞めた後に参加したのは、地域社会の課題解決を支える世田谷コミュニティ財団。どういうきっかけがあったのですか?