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神奈川県秦野市で創業100年の老舗旅館「元湯 陣屋」の4代目女将を務める宮崎知子さん。多額の負債を抱え、倒産寸前だった旅館を夫婦で継ぎ、3年で黒字転換させた手腕は業界でもよく知られている。31歳で女将になった宮崎さんに、リーダーとしてどう課題を見つけ、取り組んできたかを聞いた。
産後2カ月でいきなり老舗旅館の女将に
スピード感のある改革で老舗旅館を復活させた宮崎さんだが、意外にもリーダーシップには自信がないという。「以前の職場でもリーダーになったことがなく、管理職の経験をすっ飛ばして経営側に来てしまったので、なかなかマネジメントがうまくいかないということを何度も経験してきました。どう伝えれば現場で働く人たちが受け取りやすいのか。つねに試行錯誤を繰り返しています」
宮崎さんがホンダのエンジニアだった夫・富夫さんと2人で夫の家業を継いだのは2009年。義父が急死し、約10億円の負債を抱えて旅館は倒産寸前に追い込まれていた。「夫はもともと旅館を継ぐ予定はなかったので、まさか自分が旅館の女将になるとは思ってもみませんでした。でも、事業の売却もうまくいかず、夫が借入金の連帯保証人になっていた。当時2歳だった長男にまで負債の影響が及ぶくらいなら、自分たちでやるしかない。気持ちの切り替えは1日でしました」。第2子の出産から2カ月後のことだった。
当時、義母は体調を崩し、旅館は経営者不在の状態。社員はベテランが多く、31歳の宮崎さんが最年少だった。誰も教えてくれる人がいない中で、女将としてどう振る舞ったのか。
「最初の1カ月は観察することから始めました。最年少で新参者の自分が前に出ていっても何かできるわけでもない。女将だからといって指示して聞いてもらえるとは思っていませんでした。当時は、お客様にアクシデントがあっても何が起きたか従業員から教えてもらえず、ただ謝りにいくだけのこともあった。でも、教えてもらうためにも、叱ってはいけない。観察しながら1つひとつ覚えていきました。従業員の中には派閥もありましたけど、私はずぶといのでそういうことには気付かないふりをしていましたね」
観察するうちに老舗旅館の持つ課題が見えてきた。