60歳過ぎても働く そのために今からできること
外資系銀行で20年以上、富裕層の資産を運用するプライベートバンキングの仕事に就いていた藤田淑子さん(55歳)。40歳で「残り半分の人生」を考えるようになり、48歳のとき会社を辞め、地方創生のため単身宇部へ。そして現在は、「社会を変えたい」と考える富裕層と、社会課題の解決を目指す社会起業家やNPOをつなぐフィランソロピー・アドバイザーとして活動を広げています。藤田さんが、「人生をかけたいと思う」事業にたどり着くまで、何を考え、どう新しいステージに踏み出したかを聞きました。
富裕層ファミリーのお金にまつわるすべてを扱う仕事
編集部(以下、略) 米系シティバンク銀行に長く勤めていたそうですが、プライベートバンキングとは具体的にどんな業務ですか?
藤田淑子さん(以下、藤田) 日本ではあまりなじみがないと思いますが、富裕層ファミリーのお金にまつわることすべてを扱います。資産管理や運用サービスの提供以外にもご家族の留学や寄付の相談、相続対策など資産全般のコンサルティングですね。
そこで29歳から顧客対応の営業をしていましたが、自分には合っていたと思います。周りからも評価されて昇進し、35歳のときに初めて「自分はこの仕事で食べていける」と自信が持てました。顧客は一代で事業を立ち上げて株式上場させたような尊敬できる事業家が多く、日々のお付き合いも刺激になっていました。
収入も評価も安定した仕事に抱いた違和感
―― それなのになぜ、銀行を辞めようと思ったのですか?
藤田 やりがいは感じていましたが、金融サービスの仕組みに違和感を抱くようになっていました。顧客に信頼されて大切な資産を預かる一方で、銀行の都合で設定された売り上げ目標のために金融商品を売らなくてはならない。その目標額は、毎年上がっていきます。銀行の取るリスクと顧客が取るリスク、それぞれのリスクとリターンが見合ってない。銀行員は報酬がいいので、みんな自分の生活レベルを下げないために必死で営業しますが、私自身は何十万円もするブランドのスーツを買うような生活には、あまり魅力を感じませんでした。
それよりもお客さんとの信頼関係を大事にしたいと考え、法律を勉強して遺産相続やM&Aをお手伝いできるようになろうと、40歳で一度、銀行を辞めて法科大学院に入りました。
―― 最初からソーシャル・ビジネスを志向したわけではなかったんですね。