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今どき、キャリアチェンジをすること自体は珍しくないが、杉原正子さんの場合、驚くのはその振り幅だ。大学で人工知能(AI)を学んでシステムエンジニア(SE)に。次に国語教師になり、その後医師になった。果たしてそんなことが可能なのかと思うほどの経歴だが、杉原さんは回り道をしたからこそ見えるものがあると話す。
「文理両道」に憧れて、数学の道に進んだが…
編集部(以下、略) 杉原さんは大学時代に数学を学んだそうですね。数学のどんなところに魅力を感じたのですか?
杉原正子さん(以下、杉原) 中学の頃から数学は好きで、英数国が得意でした。文章を書いたり話をしたりするときに論理的な思考力は必要ですから、数学と国語は似ているんです。高校の頃から「文理両道」に憧れていて、先に文学を学んでから数学に行くのは難しいと思ったので、まず理系に進もうと早稲田大学教育学部理学科に進学しました。
大学に入ってみたら、ゼミで学んだAIは面白かったのですが、線形代数など大学で学ぶ数学はそれほど好きではないと気づき、学業よりオーケストラ活動を熱心にやっていた覚えがあります。
卒業後は日本IBMに入社、営業部門のSEとして、クライアント企業にプログラム導入やコンサルティングをする仕事をしていました。お客さんと関わるのは好きでしたが、肝心の商品であるコンピューターやシステムが愛せなかったんですね。会社のビジネス的側面も分かってくると、楽しくなくなってきて。
そこで、もともと好きだった国文学の研究や教育に興味が向き始めたんです。当時、生涯教育が流行し始めていた頃だったので、いろいろな年代の人と人間の感情や生き方について考える大学教授を目指そうと思い、会社を辞めました。