次のステージの見つけ方
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6NECで20年→副市長への転身、きっかけはプロボノ←今回はココ
「本当に、ご縁とタイミングと、いろんなことが重なって一歩を踏み出せた感じです」。そう話すのは、2022年4月、民間公募で静岡県掛川市の副市長に就任した石川紀子さん(46歳)。20年勤めたNECを辞めて、新しいステージへの転身を果たしました。一見大胆なキャリアチェンジにも思えますが、石川さんにとっては、想定外の展開も多かった会社員キャリアの中で見つけた「ぶれない軸」に導かれた自然な選択でした。
開発職のはずが異なる道へ そこで芽生えた問題意識
編集部(以下、略) 石川さんは45歳のときに掛川市の副市長の公募に挑戦し、約1500人の中から選ばれたとのこと。20年勤めたNECから異分野への転身、決断の背景がとても気になります。
石川紀子さん(以下、石川) 私は工学部出身で、大学院を出て開発職でNECに入社したのですが、最初からキャリアは想定外のことばかりでした。最終的な所属は人事部で、キャリアコンサルタントの資格を取る機会をもらったときに、自分自身のキャリアの棚卸しもしたんです。それが、会社の外に出てみる決断につながりました。
掛川市とは、18年にプロボノ(ビジネススキルを社会や地域の課題解決のために使うボランティア活動)を通じたお付き合いがありましたが、会社を辞めようと決めた時点では、副市長の公募のことは知らなかったんですよ。
―― そうだったんですね。NECでのキャリアの歩みと、外に出てみようと思った経緯をぜひ聞かせてください。
石川 大学院で電力線通信(電力線を通信回線としても使う技術)を研究していた私は、通信といえばNECだと思って入社しました。ところが、ものづくりの多くはNEC本体からグループ会社に移管していたため、開発の仕事に就いたものの、1年ほどでできなくなってしまったんです。
そこからネットワーク事業のプロモーション担当になると、NECが通信以外にも人工知能(AI)や顔認証などの優れた技術をたくさん持っていることを知りました。そして次第に、「すごい会社なのにもったいないな」と思うようになったんです。
―― もったいないとは?
石川 当時は数億円規模でないとビジネスではないという感じで、取引先は大企業や官公庁、金融機関など大手が並んでいました。でも、そんなに大きなお金が動く新規ビジネスはそう簡単に実現できないですよね。せっかくいろんな技術があるのだから、小さなスケールで何かできたらいいのにと思いました。