「逆境」が後押しした キャリアの転機
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3「専業禁止」の会社に転職し2年半 複業デビューへの道
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4JTBのふるさとワーク 東京へ異動、職場は地元のまま
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5電通で管理部門に36年 定年前に外に出る、と決めた訳←今回はココ
「私が逆境なんて言ったらおこがましい気がするんです。短大を出て電通という大きな会社に入ることができて、定年前に辞めるときも、恵まれた新しい制度を使うことができたので」。塩田京子さん(57歳)は、自身のキャリアチェンジについてそう控えめに語る。2020年末、36年間勤めた電通を退社。定年を待たず外に出ようと決めた背景には、「会社の中ではやりたいことになかなか手が届かない状況」があった。
広告制作に興味 でもずっと管理部門の部署だった
もともと塩田さんが電通に入社したのは、広告制作の仕事に興味があったから。しかし、当時は男女雇用機会均等法の施行前。女性の採用は短大卒のみ、職種は事務補助職だった。「入社した後に営業などの職種に移っていけた女性もいますが、ごくわずか。私は人事系を中心に、一貫して管理部門の仕事をやってきました」
制作部門も管理部門も会社にとっては不可欠な仕事。ただ、管理部門では「任された業務をきちんとやること」に主眼が置かれる。「私は必ずしも広告制作を希望していたわけではなく、多様な人たちがお互いに影響し合うことでソリューションを考えるような仕事をしたい気持ちがありました。今振り返ると、『あなたはどう思う?』とシンプルに聞いてもらいたいだけだったのかもしれません。
もちろん管理部門にいても、例えば人材育成の仕事のときには研修について自分の意見を述べたりする経験もさせてもらいました。ただ、評価のとりまとめなどで数字を扱う仕事をしていたときは、あまりにも向いてなくて気が狂いそうでした(笑)。それでもやるのが会社員として働いてお金をもらうことなんでしょうけどね」
50代で、改めて上司に仕事の希望を伝えるも…
合わない業務がつらい時期に、早期退職制度に応じて何か新しいことをやってみようかと考えたことも何度かあったが、仕事を見つけるのは現実的に厳しいだろうと思うとふんぎりがつかなかった。50歳を過ぎた頃に「同じ部署の中でも、もう少し現場寄りの仕事がしたい」と上司に相談してみたが、返ってきたのは「今から新しいことをやるのは大変だし、若い人もきっとやりづらいよ」という言葉。これ以上、「自分の考えを出す仕事」を会社の中で望むのは諦めるよりほかなかった。
20年、電通は40歳以上のミドル社員の独立と「プロフェッショナルとして価値が発揮し続けられるエイジレスな働き方」を支援することを目的とした「ライフシフトプラットフォーム」というプログラムを立ち上げた。会社を退職して個人事業主または法人代表となり、同時に電通が出資するニューホライズンコレクティブ(以下、NH)という会社と業務委託契約を締結。10年間はNHで一定の業務を担いつつ、固定報酬を得ることができるというものだ。塩田さんはこの制度を利用して退職することを決意する。