人生100年時代の家族のカタチ
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親の介護をきっかけに夫・誠さんが「兼業主夫」に、妻・康子さんが働きに出るという役割を選んだ村上さん夫妻。その後、康子さんは以前からやりたかった子どもに英語を教える仕事に転職。NPO活動を積極的に行う誠さんは父親業、主夫業を極めていき、2020年には夫婦で里子を迎えました。男女の役割や血縁にとらわれない村上さん夫婦が考える「幸せな家族のカタチ」とは?
結婚を機にベンチャー企業の正社員になった妻
編集部(以下、略) 康子さんはこれまで、どういうキャリアを歩んできたのですか?
村上康子さん(以下、康子) 結婚する前は音楽がやりたくて派遣社員として働いていましたが、結婚して夫の両親と同居することになり、義母が「家のことは私がやるから働きに行ってもいいよ」と言ってくれたのでIT系ベンチャー企業の正社員になりました。自分の母は専業主婦だったので、結婚したら家に入るのが普通かと思っていましたが、夫の両親は、「家事は嫁がやる」っていう感じではなく、できる人ができる範囲のことを自分からやればいいっていう雰囲気でした。私は家事が苦手であまりお役に立てないので、それなら外で仕事するかと。
―― 正社員になったのは結婚後だったんですか。理解のあるお義母さんですね。
康子 はい。すごくいい義母でしたね。当時、勤めていたベンチャーは若い人が多く、育休の前例がなかったんです。だから女性も働きやすい環境になったらいいなと思って、ワーク・ライフ・バランスのプロジェクトを提案したら社内コンペで優勝して、チームリーダーになりました。社内では私が初めての産休・育休取得者で、本当は復帰する前に辞めようと思っていたのに辞められなくなっちゃって(笑)。
母の介護をきっかけに選んだ主夫の道
―― 誠さんは都市計画のコンサルティング会社を辞めて、フリーランスでグラフィックデザインの仕事をしていたんですよね。主夫を担当するようになったのはいつごろからですか?
村上誠さん(以下、誠) 2008年、長男が3歳のとき、母が脳出血で倒れて急に介護が必要になりました。妻は仕事が忙しいうえに第2子妊娠のために不妊治療もしていた。これからどうしようかと2人で話し合ったんです。妻は正社員で社会保障もしっかりしているし、僕はフリーなので融通が利く。家事も僕のほうが得意だったので、家のことは僕が中心にやり、母の介護は父が病院に通い、妻は外で働く。そのほうが介護認定を受けた母を妻の扶養に入れることもできるし、家計も安定するよねということになりました。