年長者が職場で生き残るコツ
私はベテラン社員から「仕事や人間関係になじめない」と相談を受けたとき、ある医師の話をよくします。私の恩師であり90歳まで現役のフルタイム勤務医を続けていた中村恒子先生の話です。
数年前のことですが、中村先生が生涯現役であり続けることができた秘訣(ひけつ)を書籍にまとめる機会を得ました。それが『心に折り合いをつけてうまいことやる習慣』(すばる舎)という本です。
中村先生の話は、ベテラン社員が組織人として最後まで生き抜くために非常に役に立つものでした。ここでも一部ご紹介したいと思います。
90歳まで現役医師を続けていると聞くと、よほど医者の仕事が好きで使命感に燃えていたのかと思うかもしれません。しかし実は違うのです。
「出世したいとか、成功したいとか、何かを成し遂げたいとか全く考えたことなし。自分と家族が食べていけるだけのお金を稼ぐために、目の前の仕事をしてきただけ」と中村先生は淡々と話します。
中村先生は、終戦2カ月前の1945年(昭和20年)6月、尾道からたった1人で医師になるため大阪に出てきて、現在の関西医科大学の前身である「大阪女子高等医学専門学校」に入学しました。そのとき、高等女学校を出たばかりの16歳。戦争末期の大阪は米軍による空襲が頻繁に繰り返されており、いつどこでB29が飛んできて機銃掃射されるか分からないという恐ろしい状態の中での入学でした。
入学した理由は「お国のために医師になりたい」などではなく、「自活するため」でした。実家が貧しい上に子だくさんで生活が苦しかったところ、運よく大阪で開業医をしていた叔父が、「医師がみな軍に取られて国内で医者が不足しているから、成績がよいなら医専の試験を受けろ。受かったら学費の面倒は見てやる」と一族に声をかけてきたのです。
そこで一念発起して受験し、見事合格した中村先生は、「とにかく自活できる仕事を得られるのであれば、何でもいい」という気持ちだったそうです。
医師になってからも60歳ぐらいまでは、ずっと「生活のため」に働いていたと言います。耳鼻科医の男性と結婚して子どもにも恵まれますが、夫は給料を飲み代に全部使ってしまう放蕩(ほうとう)人であったため、常に「生活するため」が仕事を続ける強い動機でした。
60歳を過ぎて子どもが成人した後は、「家にいてもすることないから、自分を使ってもらえて人の役に立てるうちは働かせてもらいましょか。もはや仕事は生活習慣の一部やから」と、相変わらず淡々と仕事をこなしてきたそうです。
声をかけやすい人になる。妙なプライドは捨てる
私は、中村先生と3年ほど同じ病院で働いていました。そのときすでに中村先生は70歳を超えていましたが、若い医師や看護師、スタッフからとても親しまれていました。
その理由の1つは、「声をかけやすい」雰囲気にあると思います。医師でも通常は60~65歳が定年になることが多いのですが、先生はその年齢を超えても組織に求められる人材であり続けました。
病院のスタッフたちは「先生、この処置もついでにお願いできないですか?」などと気軽に頼みますし、先生は「ああ、ええよ」と自分の担当患者さんに関する業務以外の雑用であっても、気軽に引き受けていました。
「先生、この患者さんのケアプランどうしましょう?」などと若い看護師から相談を受けたら、「そうやなあ、私はこう思うんやけど、あなたはどう思う?」などと、上意下達ではなく、常に相談しましょうという雰囲気で対話されていました。
「この仕事は私の仕事じゃない」とバリアーを築くのではなく、自分のできる範囲で臨機応変にスタッフと協力するという姿勢を貫いていたのです。逆に自分が分からないこと、例えばパソコンの操作などは、「ちょっと教えて~」と素直にヘルプを求め、助けてくれたスタッフに対しては「ありがとう、助かったわ」としっかりお礼を述べ、まさに「持ちつ持たれつの関係」を築いていたのです。
この中村先生のような「しなやかで無理のない仕事のとらえ方、生き方」は、これからの時代に年長者が職場で生き残っていくための大きなヒントになるように思います。
精神科医(精神保健指定医)・産業医・労働衛生コンサルタント
株式会社朗らかLabo 代表取締役

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