初のレシピ本も出版するなど活躍中のヘルシー料理家・ヨガインストラクターの「にこまお」こと長尾麻央さん。実は、日本代表にもなったフィギュアスケーター時代に壮絶な摂食障害を経験していました。過去の辛い経験を乗り越えて、食とヨガで発信を始めるまでを語ってもらいました。
100gでも多く、体重を削ぎ落としたかった
華やかなフィギュアスケートの世界から、ヘルシー料理家・ヨガインストラクターに転身した「にこまお」こと長尾麻央さん。フォロワー数20万人超のインスタグラムで発信するレシピは、「太りにくくてヘルシー、簡単においしくできて見た目もキレイ」と支持され、初のレシピ本も出版された。さらに、2冊目の出版も予定されているという人気ぶりだ。
順調なキャリアに見えるにこまおさんだが、実は15年近くにおよぶ壮絶な摂食障害の経験を持ち、現在も完治はしていないという。
北海道出身の両親の影響で、小さなころからウインタースポーツが身近な存在だったという、にこまおさん。キレイな衣装に身を包んでクルクルと回る女の子の姿に憧れて、小学校4年生のときに本格的にフィギュアスケートを習い始めた。
審美的な要素もジャッジされるフィギュアスケートにおいて、体重コントロールは必須。少しの体重増加がジャンプに影響することも少なくない。中学生になるとカロリーブックを持ち歩き、口にするカロリーをすべて計算。常に頭の中はカロリーでいっぱいだった。
限界を迎えたのは高校2年生のとき。成績が伸び始めて「100gでも体重を削ぎ落としてジャンプを跳びたい」という想いと、体形変化が起こりやすい時期が重なった。放課後に学校の友達が甘いものを食べに出かける様子がうらやましく、体重コントロールのストレスが限界を迎えてしまう。
「<食べて戻す>という行為を知り、好きなものをいくら食べてもリセットされる方法を手に入れた! とそのときは高揚感でいっぱいでした。 もちろん危険だとは分かっていながら、“自分でする行為だから、やめることもできるはず”と考えていました」
家族が寝静まってから過食。心の中ではいつもSOSを出していた
初めは「どうしても食べたいときだけ」の手段だったのが、やがて自分の意志ではコントロールできなくなり、1日の3食を食べては吐くのが日常に。食料を大量に買い込み、両親が寝静まった夜中に過食嘔吐を繰り返す日々になった。舌は痺れて味覚は感じられず、常にイラついて性格も攻撃的に変わってしまった。
「気づかれてはいけない」という一心から、フラフラになりながらもフィギュアスケートの練習には出かけていき、必死で「普通」を装う日々。このとき、身長150cmに対して体重は42kg。外から見ている限り、極度にやせているという印象はない。
過食嘔吐タイプの摂食障害が怖いのは、体形変化が起こりにくいため、周囲に気づかれにくいことだという。「心の中ではいつもSOSを出していました。でも、親や周りの人を悲しませたくない、心配させたくないという気持ちでのみ込んでしまい、誰にもいえませんでした」。そんな、嘘を嘘で固める生活が続いた。
転機となったのは大学2年生の秋。いつも通り、袋いっぱいの食べ物を持ち込んで口にしているところを、部屋に入ってきた母親に発見されたのだ。
申し訳ない気持ちと同時に、気づいてもらえてホッとした気持ち。限界を超えていた「体重管理」から離れるために、フィギュアスケートを一旦休み、心身を立て直すことになった。