緊迫が続くウクライナ侵攻で注目を集めている女性兵士。さまざまな分野で女性活躍が進む中、国防への女性の参加は究極のジェンダー平等なのだろうか。軍事・戦争とジェンダーの社会学を専門に研究を行う一橋大学大学院教授の佐藤文香さんは、「平時の社会における非対称なジェンダーの関係性が、戦時の支配構造にもつながっている。男性を基準に成り立っている社会秩序を前提とした数の平等だけでは、ジェンダー平等には到達することはできない」と指摘する。今回は、暴力の連鎖を生む「保護」のロジックについて話を聞いた。

(1)「女も戦場へ」は究極の男女平等? 数より重要な問いは
(2)戦争や暴力の連鎖生む 「保護」を名目とした支配構造 ←今回はココ
(3)日本でのジェンダー研究に逆風? 不都合な真実との戦い
(4)戦後日本女性が家庭に戻った理由 ジェンダー史の分岐点
(5)男女平等と徴兵制 背景に目を向けないと事実を見誤る

「保護」が戦争や暴力の連鎖を生むロジック

編集部(以下、略) 前回、佐藤さんは「保護する男と保護される女」というパターン化された関係への問題提起をしました。

佐藤文香さん(以下、佐藤) DVやハラスメントに象徴されるように、「俺たちの」という所有意識から起こるトラブルは日常生活のいたるところにあります。家父長制下のジェンダー関係において、男性が女性を「保護する対象」と捉えることは、戦争の暴力を正当化することにつながってきました。戦争の根底に宗教や民族、領土などの政治的な問題がある一方、保護を大義として掲げた戦争の歴史が繰り返されてきた背景には、男らしさと女らしさの観念があると私は考えています。

 米国の政治学者のジュディス・スティームさんは、1982年という早い時期に「保護ゆすり屋」いう概念を提起しています。保護ゆすり屋とは、対価を前提にして、漠然とした敵からの保護を行う人のこと。保護される対象者を搾取し、管理や安全と引き換えに相手を意のままに動かしたり、危害を加えたりすることで、実際には保護と称する人こそが保護される側にとって最大の脅威となり得ます。

 国家安全保障は国家が国民を保護するわけですが、結婚によって男性が女性を保護するという場合にも似たような論理構造がありますね。保護する・されるというジェンダーの非対称が絡み合うことで、男女のヒエラルキーや構造的な暴力が再生産されてきたことをフェミニストたちは明らかにしてきました。戦争をジェンダーの視点から見ると、保護ゆすり屋が本当にいろいろな形で出てくることが分かります。