「第2次世界大戦後、1970年代までは世界的に高水準だった」という日本の女性労働力。しかし、今の日本は「ジェンダーギャップ指数」でも順位が低い。なぜ欧米と日本の男女格差是正で異なる動きが進んだのだろう? 軍事・戦争とジェンダーの社会学を専門とする一橋大学大学院教授の佐藤文香さんにその背景を聞いた。
(1)「女も戦場へ」は究極の男女平等? 数より重要な問いは
(2)戦争や暴力の連鎖生む 「保護」を名目とした支配構造
(3)軍事組織とジェンダーの研究から見る女性活躍推進の実態
(4)戦後日本女性が家庭に戻った理由 ジェンダー史の分岐点 ←今回はココ
(5)男女平等と徴兵制 背景に目を向けないと事実を見誤る
2つの時期に時期区分できるジェンダー関係の変化
編集部(以下、略) 第2次世界大戦では、男性が兵役に駆り出されたため、女性の労働力需要が高まるという状況が各国で見られました。戦争によりどの国でもジェンダー関係の変化が起こったであろうにもかかわらず、なぜその後、欧米では男女平等が進み、日本は停滞しているのでしょうか。
佐藤文香さん(以下、佐藤) 意外に思われるかもしれませんが、女性の労働力率は1970年代半ばごろまで、欧米よりも日本のほうが高かったんです。戦争中に進んだ女性の労働力動員は、戦争が終わると、「女の居場所は家庭」というゆり戻しに見舞われました。これは、多くの欧米諸国でも起こったことで、いったんは女性の専業主婦化が進みます。

社会学では、1970年代を境に、2つの時期区分でジェンダー関係の変化を見ることが多いのですが、京都大学大学院文学研究科教授の落合恵美子さんによると、第1期は1945年から70年代初めごろまでの、福祉国家が出来上がっていった時期。第2期は、1970年代から2000年ごろまでの国家が福祉を削減していった時期で、このように区分して考えると、欧米と日本が異なる道を歩むことになる背景が分かります。
戦後、欧米にも性別役割分業のモデルがあった
第1期には、社会保障制度の拡充など、国民の生活の安定を手厚く支援する福祉国家が欧米諸国などでつくられていきました。その際、欧米は最初から男女平等の社会をつくろうとしたのではありませんでした。日本よりも早く、「男が外で稼ぎ、女が家庭を切り盛りする」という性別分業型の家族モデルが広がっていきました。