各業界で活躍する女性リーダーに、ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と包摂性、D&I)の視点から、人材育成や構造改革における取り組みや課題を語ってもらう本連載。今回登場するのはセイコーグループ常務執行役員の庭崎紀代子さん。歩んだキャリアの中でぶつかった壁と、その乗り越え方、さらに女性管理職を増やすための取り組みについて聞きました。
(上)セイコー庭崎紀代子 知識不足から猛勉強で信頼獲得←今回はココ
(下)セイコー 生き生き働く女性の「見える化」で得たこと
編集部(以下、略) 庭崎さんは男女雇用機会均等法が施行された86年に入社していますが、当時の雰囲気はいかがでしたか?
庭崎紀代子さん(以下、敬称略) 意外かもしれませんが、当社は当時、女子学生に大変に人気がありました。
セイコーグループの現在の業種分類は「精密機器」ですが、当時の服部セイコーは「商社」の分類でした。社内に宝飾、眼鏡、雑貨、スポーツレジャー用品などを扱うセクションがあり、私が入社後に配属されたのは、その中の宝飾部(当時)でした。そこでは女性が多く働いていて、宝飾品を購入する顧客も女性が多く、催事はとても華やかでしたね。
―― 01年にウオッチ部門の商品企画部に異動していますね。環境は変化しましたか?
庭崎 同じ会社とは思えないくらい変わりました(笑)。異動後は高級ドレスウオッチ「CREDOR(クレドール)」の企画を担当。社内の区分で見れば、時計以外の事業を指す「非時計部門」から時計部門への異動です。私がそれまで働いていた宝飾部門と比べると、主要な顧客から取引先まで職場はまさに「男社会」。
それに、当時の私には時計の商品企画の知識が圧倒的に不足していました。主業務である商品企画は、どんな客層に向けて、どんな価格帯、ラインナップの商品を出していくか、デザイン部と相談しながらつくりあげていく仕事です。そして、デザインの実現に当たっては、製造側の設計、製造を担うチームと、コスト管理をしながら細かなプロセスを詰める必要があります。
ものづくりが分かっていないとできないので、現場に行く必要を感じ、長野県の岡谷市にある製造現場に毎月のように出張しました。現場の担当者には女性もいて、助けてもらうことも多々ありましたが、当時の役職者はほとんど男性。私は若く知識が足りなかった上、「女性だから」と少し軽く見られもしたのかもしれません。信頼関係を築くのに時間がかかりました。
―― どのように成果を出していったのでしょうか。