各業界で活躍する取締役や執行役員などの女性リーダーに、ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と包摂性)の視点から、人材育成や構造改革における取り組みや課題を語ってもらう本連載。今回は昭和電線ホールディングス(HD)代表取締役社長の長谷川隆代さんです。同グループでは女性社員が少なく(女性社員比率約15%)、女性管理職比率も2.5%(全管理職158人中4人)と低いのが現状です。そうした環境下で、同社初の女性トップとなった長谷川さん自身はどのようにキャリアを積んできたのか、また2021年に立ち上げた女性活躍推進プロジェクトの取り組みについて聞きました。
(上)昭和電線HD社長「実力重視」だけで女性管理職育たない ←今回はココ
(下)昭和電線HD・長谷川隆代 私が仕事を辞めなかった理由
間口は広いが、体制は整わずちぐはぐ
編集部(以下、略) 長谷川さんは1984年の入社だそうですが、86年の男女雇用機会均等法の施行前で就職活動は大変でしたか?
長谷川隆代さん(以下、長谷川) 当時は女性というだけで面接も受けさせてもらえない時代でした。今の会社に入ったのは、新潟大学工学部の先輩がたまたま今で言うリクルーターとして大学に来ていたのがきっかけです。その縁で採用試験を受けることができ、入社に至りました。以来、研究開発に携わってきました。
私が入社したときには、分析や特許管理部門に女性総合職の先輩社員がいましたし、同期二十数人の中には私を含め女性が3人いました。3人とも技術職で、大学で学んだ専門分野や国籍においてバラエティー豊かな女性陣でした。
入社してすぐ課長に「お茶くみはしなくていい。そういうことをするためにこの会社に入ったわけではないでしょう」と言われたことが、とても印象に残っています。均等法の施行前に私たち女性総合職を採用したことといい、間口の広い会社なのだなと感じました。
一方で、ちぐはぐなところもありました。例えば、女性技術職用の作業服がなかった。「とりあえず事務職の女性と同じものを着てください」と言われたので、上は事務服、下は自前のジーンズをはいていました。今思うと、現場でそうした格好は危ないのですが。
この頃はダイバーシティや女性活躍推進なんて言葉はありませんから、男性社員には「女性は偉くならない。なっても主任まで」と言う人もいました。
―― 「女性は偉くならない」などと言われる中、長谷川さん自身はどんなキャリアプランを描いていたのですか?
長谷川 私は研究が続けられればいいと思っていて、マネジメント職にもリーダーにもなろうとは全く思っていませんでした。
―― そうした志向はなかったものの、実際に部下を持つようになったのはいつですか?
長谷川 入社10年目、34歳のときです。女性でライン管理職(意思決定権を持つ管理職)は私が初めて。たまたまポジションが空いて、適任者がほかにいなかったから私が選ばれたのだと思いますが、男女合わせて見ても管理職になったタイミングは早かったと思います。部下は全員男性でした。嫌み半分で「女性のライン長か、楽しみだね」「何ができるの?」と言われたこともあります。