各業界で活躍する女性リーダーに、ダイバーシティ&インクルージョン(多様性と包摂性)の視点から、人材育成や構造改革における取り組みや課題を語ってもらう本連載。今回はコスモエネルギーホールディングス取締役常務執行役員の竹田純子さんに聞きました。一般職として入社した竹田さんが、どのようにしてキャリアを切り開き、業界でも珍しい生え抜きの女性取締役に就任したのか。自身のこれまでのキャリアについて振り返ってもらうと共に、推し進めているダイバーシティ施策について聞きました。
(上)「クビにして」と言った日も 石油業界で一般職→取締役 ←今回はココ
(下)竹田純子 女性管理職「自然に任せるだけ」では増えない
「もう少し頑張ってみてもいいかな」と総合職へ
編集部(以下、略) 竹田さんは石油業界で珍しい生え抜きの女性取締役です。経営層に女性が入ったことで何か変化はありましたか。
竹田純子さん(以下、竹田) 取締役は9人で、私のほかに社外取締役の女性が2人います。マイノリティーがマイノリティーでなくなる目安は「3割」と言われますが、今は取締役会で3割が女性になりました。ジェンダーというよりもそれぞれの個性だと思いますが、私の場合、管理職だった頃から、周囲とは少し違った目線でものを見て、発言するという特性はあるかもしれません。
―― キャリアのスタートはどのように?
竹田 実は希望して一般職でコスモ石油に入社しました。当時は総合職でバリバリ働くというイメージを全く持っていなかったんです。
最初に、電力会社や航空会社などの大企業向けに燃料油を販売する直売部(現コスモ石油マーケティング産業燃料部)に配属になりました。当時はお茶くみも1日3回していましたし、制服も着ていましたよ(笑)。そういう時代でした。
一方で、コスモ石油では1988年から女性総合職を採用していました。その部署では一般職の女性社員が大きな戦力として活躍していましたが、仕事の広がりや処遇面などを考えて、もう少し仕事を頑張ってみてもいいかなと思い、93年に総合職にコース変更しました。お茶くみと制服着用は、この時点でなくなりました。
―― ポジティブなイメージを持って総合職に転向したのですね。当時はどんなことを考えながら仕事をしていたのですか。
竹田 当時は時間を持て余していましたので(笑)、よく人を観察していました。例えば、上司のところに定期的にやって来て相談事をする人がいて、「この人は何の相談に来ているのだろう?」「どこの部署の人だろう?」など。その後、その人は人事部門の人で、定期異動の前に人事情報の交換に来ていたことが分かりました。
次第に、自分の仕事でも「こういうときはあの人に相談しなければ」といったことが分かり、判断や行動に生かせるようになっていきました。人を観察し、直接自分の仕事と関係がないようなことにも興味を示していたことは、その後のキャリアにおいても役に立っています。
