「家」に、中国と西洋の考え方をかぶせたものが「家制度」
中村さん ところが、明治国家の明治民法に基づいた「家制度」を説明しようとすると話が込み入っていきます。日本に伝統的に存在していた「家」の上に、中国的な考え方と西洋的な考え方をかぶせてつくられたもの。それが「家制度」です。
明治政府は、日本で男女が協働する関係で生活のために運営していた組織である「家」を、「男性が偉い」というかたち(「家父長制」)にしようとしました。これは「天皇が偉い」ということとパラレル(並列的)でした。
中国における「家父長制」は「父親が偉い」という考え方で、家族が父親から息子へと代々つながっていくことを基本とします。
一方、西洋の考え方の基盤となっているキリスト教においては、「夫婦は一体である」と考えます。夫婦が一体であるなら平等かと思いきや、そうではありません。一体である中で、どちらかが意思決定をしなくてはならず、その意思決定者は絶対に男性であるとされました。つまり西洋では「夫が偉い」とされるのです。だから妻も夫の姓を名乗らなければいけない。つまり「夫婦同姓」です。夫婦同姓は、もとは西洋的な考え方なのです。夫はすべてを決定でき、妻の財産もすべて夫が管理する。これが西洋的な夫婦関係の在り方です。
このように、中国的な考え方では「男性が父として偉い」。西洋的な考え方では「男性が夫として偉い」。いずれにせよ「男女の間では男が上である」という家父長制の考え方だった。この2つの系統の考え方を、明治政府は受け入れようとしました。復古とは、武家支配の前の律令制(律令を基本法とする古代日本の中央集権的政治制度およびそれに基づく政治体制)に戻ることですから、中国的な制度を取り入れることになります。同時に、新しく西洋的な考え方も取り入れたわけです。それが従来の「家」の上にかぶさりました。
こうして明治政府は「男が偉い」という「家父長制」をつくろうとしましたが、「家」は生活のための組織ですから、実態はすぐには変わりませんでした。しかしながら、そうした考えが政府から押しつけられた頃に、徐々に社会的な変化が起きてきました。その変化は大きく分けて2つあります。