男性の社会的活動を重視した
中村さん 1つは「社会の変化」です。男女の関係性において、重要な変化が起きました。まず、国家が権利や義務を男性にだけ与えて、男性だけを「一人前の国民」として認めるようになりました。最も重要なのは「選挙権」です。これにより、「国家を担っていく一人前の人間は男性だけである」という考え方が出てきました。
また、法律とは関係なく、経済・産業の発展によって「生産」の仕方も変化しました。それまでは主に生産は「家」で行われていましたが、この機能が工場や会社に移りました。「家」における男女協働が、男性が職場に行き、女性が家に残るという性別役割分業に移行したのです。
つまり、国家による「一人前の国民は男性だけだ」という考え方と、仕事による「仕事をする男性のほうが重要だ」という考え方が合わさって、男性の社会的活動のほうが(女性の家庭における活動よりも)重要だと考えるようになったのです。
西洋でも同じような状況が起こりました。これをフェミニズムでは「『公的領域』と『私的領域』の分離」と言います。男性が担う公的領域のほうが重要で、女性が担う私的領域はあまり重要ではないという位置付けです。

西洋から入ってきた、女性に関する新しいイデオロギー
中村さん 2つ目が「イデオロギーの変化」です。これにも中国と西洋からの影響があります。儒教は男尊女卑的な思想で有名ですが、この儒教が明治後半から女子教育に影響を与えるようになりました。そして、女性の家庭での役割を強調する「良妻賢母」教育が行われるようになったわけです。
また、西洋からも女性に関するイデオロギーが入ってきました。英国ではビクトリア時代に性別役割分業が確立され、「女性は家の中の天使であるべきだ」といった家庭での役割を強調するイデオロギーが生まれました。女性は愛情豊かであらねばならない、女性らしくあらねばならない、主婦の仕事は大事である、処女であることが大切だ――。こうした女性らしさのイデオロギーがビクトリア時代に確立され、明治末から大正にかけて日本に入ってきました。
西洋から日本に入ってきた、この「女性に関するイデオロギー」がクセモノだったと私は思っています。時を同じくして入ってきたのが、大正デモクラシーです。人間(実は男性)の平等を主張する民主的な考え方と、女性を締め付ける考え方が同時に入ってきたわけです。これがおそらく「女性らしさ」という考え方をつくるのに影響を与えたのでしょう。私が本で紹介している与謝野晶子による『「女らしさ」とは何か』という文章も、この頃(大正10年)に書かれています。