日経xwoman編集部(以下、――) 当時の女性たちは、「女性らしさ」を「よいもの」として取り入れたのでしょうか。
中村さん 「よいもの」というわけではなく、社会の雰囲気がだんだんそうなっていったと言ったほうが正しいでしょう。私たちは生きている中で、それほど厳密に物事を取捨選択をしていないものです。新しい考え方が徐々に入ってきて、いろいろな言説が流れ、それを押しつける人や、さまざまな発言をする人がいて、教育の中にも浸透していく。こうした環境の中で、知らないうちに受け取ってしまうもの。それがイデオロギーです。いつの間にか考え方が縛られてしまうのです。
こうして、社会における性別役割分業は戦後も変わらず、産業を発展させるのにも都合のよい体制だったため、1960年代の高度成長期ぐらいに確立されました。夫は会社でモーレツ・サラリーマンとして働き、妻は家で専業主婦としての役割を果たすという体制が長く続きました。
なぜ日本では性別役割分業が長く続いたのか
中村さん 西洋では1970年代にフェミニズム運動が起こり、「専業主婦は嫌だ」という女性たちが運動することで、性別分業の打破が目指されました。
では、日本でこの性別役割分業がずっと続いたのはなぜでしょうか。私の分析では、日本の「主婦」というのがとても居心地のよい立場だったからという理由が考えられます。西洋と違い、主婦が家庭の財布のヒモを握っていたのがポイントです。
日本では、昔から「家」の中で夫婦は協働していたという歴史があり、その名残があったのでしょう。家の中を取り仕切るのはもともと妻の役割で、対外的・全体的なものを夫が見ていた。家の中の経済は女性が差配するというのが、日本には伝統的にあった。モーレツ・サラリーマンと専業主婦の時代になっても、専業主婦は財布のヒモを握り続けた。
西洋ではどうだったかというと、夫婦は一体で夫が偉い。加えて、所有権概念が強いので、夫が稼いだらビタ一文、妻には渡さない。そこが全く異なっていました。西洋の主婦はとてもむなしい立場になります。お金も自分で使えないし、決めるのは全部夫だし……。そのあまりにむなしい状況がフェミニズム運動を引き起こしたのです。
日本の主婦は財布のヒモを握って、「三食、昼寝付き」という言葉まで生まれたぐらいでした。そのせいで「主婦を辞めたい」という気持ちが起こりにくかったのです。
―― その中でも日本でもフェミニズム運動が起きたのは、なぜなのでしょうか。
中村さん それはやはり、日本の女性も自己実現したいと思うようになったことがあります。夫の稼ぎがあまり増えなくなった、という社会背景もあります。
しかし、専業主婦を前提にして、社会における男性と女性の立場が考えられたため、「女性は基本的に働かないもの」とされました。「もし女性が働いたとしてもパートタイムや非正規で、それほど真剣に働くことはないだろう」ということが前提の社会になるわけです。その結果、女性は低賃金で、管理職にも就かない。そういう社会構造になってしまいました。
※ 次回の下編では、中村さんに「これまでの100年間で日本の女性が手にしたもの」「これから日本のジェンダーギャップを解消するために必要な3つのこと」などについて伺います。
取材・文/小田舞子(日経xwoman) イメージ写真/PIXTA