1970年代、日本でフェミニズムの本が数多く出版された

―― さて、中村さんが政治思想史の研究を始めたのは、「女性を取り巻く問題を考えたい」という思いが出発点だったそうですね。

中村さん 私が女性の問題を考えるようになったきっかけは、1970年代に日本でフェミニズム運動が盛んになったことです。ちょうど私の高校時代、大学時代に当たっていました。あの頃、日本ではフェミニズムの本がたくさん出版されたのです。日本人著者が書いた本もあれば、海外から入ってきた本もありました。今回、私の新書の参考文献欄に紹介している古い書籍は学生時代に読んだ本です。

 例えば、専業主婦のむなしさを書いたベティ・フリーダン氏の本(『新しい女性の創造』大和書房)は、米国の女性たちに影響を与え、フェミニズム運動のきっかけになりました。シュラミス・ファイアストーン氏の本(『性の弁証法―女 性解放革命の場合』評論社)も学生時代に読んでいました。

 私は大学時代にフェミニズムの本ばかり読んでいました。友達も皆同じ感じで、休み時間にはフェミニズムの話ばかり。(私が通った)東京大学では女子学生が少なかったこともあり、皆友達でした。ちなみに、今年6月に行われた最高裁判所での選択的夫婦別姓訴訟の判決で、「違憲」の意見を示した裁判官、宮崎裕子さんは大学時代の同期です。

 法学部だったので司法試験を受ける人が多かったのですが、私は「公務員なら試験があるから、女性差別がないのではないか」と考えて、公務員の道を選びました。しかし実際は、仕事の分担にも性別役割分業の考え方が持ち込まれていて、お茶くみは女性の仕事でした。

 結婚のタイミングで退職し、夫の留学に同行して渡った英国ではちょうどフェミニズム運動が盛り上がっていて。フェミニズムを学ぶ大学の自主ゼミに潜り込み、刺激を受け、「私も研究したい」と思い立って、帰国後、大学院に入りました。

日本の「家」はなくさなくてもいいのでは……

―― 『#駄言辞典』を出版してからさまざまな人と話をする中で、「日本にもう家制度はないということを知らなかった」という人が少なからずいることを知りました。考えてみれば結婚式でも「○○家と△△家の結婚」という表現を耳にしますし、そうしたところから「家制度はまだある」と錯覚してしまうように感じます。

中村さん もう一度言いますが、「家制度」と「家」は違いますよ。結婚式で語られる「家」は「家制度」とは関係ありません。

―― そうでしたね、つい勘違いしてしまいます。では、この事例はどう解釈すればよいでしょう。『#駄言辞典』でも紹介したフレーズです。結婚したときに義母から「あなたももう○○家の人間になったのだから」と言われて「ゾッとした」という女性からの投稿がありました。この義母の発言も「家制度」とは関係ないのでしょうか。

中村さん 関係ないですね。この場合、義理のお母さんは「家」というものの縛りを強く考えています。新婦のほうは、夫婦を中心とした家族イメージを持っている。その違いです。「家」を強く意識する人と、どちらかというと「夫婦中心の家族」というイメージを持つ人との食い違いだと考えればいいと思います。

―― では、これはどうでしょう。息子を産んだとき、義母から「○○家の跡取りを産んでくれてありがとう」と言われて違和感を持った、と。これも、ある女性から投稿されたエピソードです。

中村さん その事例も「家制度」とは関係ありません。「家制度」は、国家が国民の権利や義務について定めたものです。「家」は、皆で協働して暮らして、それを代々続けていくことを目的とした組織です。「家制度」はもうありませんが、人々の間に「家」の観念はあり、自分が人生の中でつくってきたものを子どもや孫に伝えたいという思いは残っているわけです。

―― 「家」という考え方はなくならないし、なくさなくてもいい、ということですね。

中村さん 私は「家」の考え方はなくさなくていいと思いますよ。

 「家」とは、家族として縦につながっていくことを重視する考え方です。

 私個人としては、子どもや孫が、私たちの「家」を引き継ぐというようには考えませんが、幸せにちゃんと生きていってくれるとうれしいなと思いますし、そういう考え方は日本の人々の間にもまだ一般的にあると思います。「家を継ぐ」ではなく、「家族がつながる」と言えばしっくりくるのかもしれません。とにかく日本には子どもや孫が大事だという考え方があるということです。