原広司研究室の調査でサハラ砂漠を縦断
大学院に進んだときに、僕はアフリカの集落調査を企画しました。大学院で師事した先生は原広司さん。原研究室は建築学科なのに、世界の辺境に出かけて文化人類学のようなフィールドワークを行うということで、それ自体が東大の辺境と目される研究室でした。
原先生は自由人そのもので、学生からアクションを起こさないと、ゼミも何も行われない。先生から電話がかかってくるのは、マージャンの頭数合わせと、労働力確保のときだけ。工務店に逃げられた千葉の現場で、学生たちが招集をかけられ、夜中まで工事を手伝わされたこともありました。
そんな面白い研究室だけど、大学院に行ってマージャンと労働だけじゃ仕方ない。「先生、そろそろ調査旅行に出かけましょうよ」とけしかけて、僕ら学生がルートを練り、予防接種のスケジュールづくりから、スポンサー候補の企業を回ることまで、能動的に動きました。
梅棹さんのフィールドはタンザニアでしたが、僕らのルートはアルジェリアから入り、ニジェールを通ってコートジボワールまで、2カ月をかけて、サハラ砂漠を縦断するものです。一日中、砂漠とサバンナの中で車を走らせて、集落を見つけたら、片っ端から訪問して、記録を取りまくります。もちろんアポなし。相手にしたら、僕らはどこの誰とも知らない人間なわけで、今振り返ると、よく無事に帰ってこられたもんだと思います。
アフリカへの旅は、僕の中にある「アンチ近代」の思いの集約でもありました。

隈研吾建築都市設計事務所のテラスからは青山の町並みが見下ろせる