世界中から依頼が絶えない超人気建築家、隈研吾氏の人生の血肉となった本、2冊目は、上野千鶴子著『家父長制と資本制』。家父長と専業主婦のある種の共犯関係の中で資本制が成立しているという主張に、大いにうなずく。建築もその資本制の罠に組み入れられている、と自覚する契機となった。
梅棹さん、上野さんとシンポジウム登壇
前回(隈研吾「サラリーマン」だった父への反感 対極を求めて)、僕の3冊の1冊目として、梅棹忠夫さんの『サバンナの記録』を挙げました。実は生前の梅棹さんと、お目にかかったことがあります。1993年に、梅棹さんが館長を務めておられた国立民族学博物館のシンポジウムに、社会学者の上野千鶴子さんと一緒に登壇させていただいたのです。
その8年前の85年、ニューヨークのコロンビア大学留学中に、単行本デビュー作となる『10宅論』(ちくま文庫)を書きました。バブル前夜に日本で流行していた住宅様式について、「清里ペンション派」「カフェバー派」というように、勝手な呼び名を与えて揶揄(やゆ)する、という意地悪な本でした(笑)。その本を上野さんが面白がってくださり、彼女が尊敬する梅棹さんのシンポジウムに呼んでくれたわけです。
当時の上野さんは『スカートの下の劇場』(89年)など刺激的なタイトルの本をどんどん出していて、過激なお姉さんという印象が強かった。その印象が僕の中で変わったきっかけが、90年に出版された『家父長制と資本制―マルクス主義フェミニズムの地平』(岩波現代文庫)でした。

『家父長制と資本制』(上野千鶴子著/岩波現代文庫)