19世紀末に現れた「優雅と諦念」

 この本で描かれる吉田のヨーロッパ観――文明とは優雅と諦念のことである――というものは、僕の中にずっと残り続けました。文明とはピカピカと輝くものではなく、陰影を背負った先に到達する、明るい諦めの境地であり、文明人とはその陰りと明朗さを同時に持つものだ、と。18世紀ヨーロッパの人間性は、産業革命でいったん失われてしまったが、しかし、19世紀末に一段と洗練された状況で、文明として現れたということなのですが、このひねり方こそが優雅と諦念の産物ですよね。

 吉田健一は、日本にあって真のインターナショナルな人物で、ヨーロッパをむやみに信奉することもなく、また日本とヨーロッパを対立軸で語るのでもなかった。そして、日本文化の中にある優雅と諦念についても、言及し、認めた。そこが文明論として秀逸だと思います。

建築家の仕事は「諦めること」が基本

 そんな吉田のヨーロッパ観が、なぜ、今に至るまで僕の心に残り続けているかというと、僕たち建築家の仕事って、「諦めること」が基本だからなんです。

 予算がないのは当たり前。場所や素材の制約は、限りなくあるし、法律も厳しい。敬愛するクライアントに巡り合っても、互いの命は限りあるものですし、建築という堅固な物質だってある日突然、壊されておしまいになる。言ってみれば、どういうふうに諦めるかが問われる職業で、さらに、そこから永遠につながるものを求められる。そういう矛盾にさいなまれるのが建築家なのです。

吉田健一の「優雅と諦念」というフレーズは建築の仕事にも役立っています
吉田健一の「優雅と諦念」というフレーズは建築の仕事にも役立っています