飯間 「なぜ今か」ということですね。

 大きな流れとしては、男女の性役割についての見方が変わってきたからでしょう。というと平凡ですが、戦後何十年もかけて、性役割についての意識は本当に大きく変わりました。このことは国語辞典を見るとよく分かります。1960年(昭和35年)刊の『三省堂国語辞典』初版で「女」を見ると、こうあります。「人のうちで、やさしくて、子どもを生み育てる人」。また、「男」は「人のうちで、力が強く、主として外で働く人」。

―― ……今の時代に聞くと、衝撃的な説明ですね。

飯間 そうでしょう。でも、これは当時としては画期的な説明だったんです。それ以前の辞書では、「女」を引くと「女性。女子」としか書いていないようなことが当たり前でした。『三省堂』初版は、典型的な女の人のイメージを分かりやすく描こうと努力したのです。辞書の説明に一石を投じたといえるでしょう。

 ただ、「典型的な女の人のイメージ」が描けてしまうこと自体、今の目からは問題ですよね。今は人間は多様で、どんな人もその人のあり方を評価されるべきだという価値観が受け入れられつつあります。こうした意識の変化に伴って、「主人」「旦那」などの呼称も再検討されているのです。

―― 「男」が「主として外で働く人」と説明されていますが、そこから「主人」「旦那」といった言葉が生まれたのでしょうか。

飯間  主たる働き手だから「主人」、ではありません。落語で奉公人が「旦那さま」「ご主人」と呼んでいるように、「主人」「旦那」は武家や商家の「あるじ」として家を取り仕切る人物の呼び名でした。「主人」は本来「家のあるじ」ということで、女性も主人になれました。

 主人が表向きの仕事をするのに対し、「奥」と呼ばれる家族の居住スペースで使用人たちをまとめるのが「奥さま」です。これもまた責任ある立場です。「奥に押し込められているから奥さま」ではないんです。

 言っておきますが、昔は夫婦が平等だったという意味ではありません。「夫は例えば君(主君)のごとし、女はなお従者のごとし」などと教えられて、夫に仕えることは妻の務めとされました。これは呼び名にかかわらず、そうだったのです。

 夫のことを「主人」と呼ぶのがはやったのは、意外なことに、むしろ戦後です。「主人」と呼ぶと上流階級的な響きがあって好まれたといいます。

 ただ、今では「主人」といえば「家来」が連想されるなどして、違和感を持つ人が多いのでしょう。

武家屋敷
昔は武家や商家などで、主人が対外的な仕事をするのに対し、「家の中を取り仕切る責任者」という意味で「奥さま」が使われていた

―― 「主人」の捉え方が変わってきたんですね。もう一つ、アンケートの自由回答では「男性が『嫁』と言うと、違和感がある。自分の配偶者なら『妻』では」「男性が外で配偶者のことを『嫁』と呼ぶのは、敬意を欠いている印象」などと、「嫁」に対する違和感を覚える人も多くいました。「嫁」に夫婦の権力差を示す意味はないのですか。

飯間 もともと「嫁」は配偶者の親、つまりしゅうと・しゅうとめから見た呼称で、夫婦のパワーバランスを示す言葉ではありません。ただ、夫から「嫁」と呼ばれると、「私は夫と結婚したのであって、夫の両親と結婚したわけではない」「夫の家に縛り付けられるようで嫌だ」と思う人も多いのでしょう。

 妻のことを「嫁」と呼ぶかどうかは地域差があります。特に関西や九州地方では「嫁」「嫁はん」という呼び方が定着しています。私の郷里の香川県もそうです。これらの地域では、ことさら「夫の家の嫁」という意識もなく使います。ただ、そう呼ぶ習慣のない地域の人にとっては、違和感が強いかもしれません。

―― 飯間さんも「嫁」と呼んでいますか。

飯間 いいえ。他人に話すときは「妻」です。妻本人に対しては「名前に『さん』付け」か「あなた」です。