社会は一極集中から地方分散…ではなく多極集中へ
日本の人口推移をグラフにすると、急勾配の山のような形になります。
人口の増減を山登りに見立ててみると、登りの時代は「集団で一本の山道を突き進む」世の中でした。常識やルールに多様性は考慮されず、一本の道に画一化され、国民が一丸となって高度成長期を駆け上がっていきました。
2008年ごろ、いわば山頂へ達した人々は、頂から360度に広がる景色を見渡し、道が一本ではないことを知りました。そして11年ごろから山道を下り始めると、人々は1つの価値観にとらわれない、多様な生き方を選択するようになりました。
私たちはまだ、下り道の途中です。これからますます、多様で自由な生き方ができるようになるでしょう。
生き方の多様化に合わせ、これまで首都圏に「一極集中」していた社会は「多極集中」になっていくと、私は予測しています。「多極集中」とは、人が幅広い地域(多極)に分散していきつつ、それぞれの地域には核となる場所(人が集まる拠点)が存在するということです。「一極集中」の反対の意味としては「地方分散」という言葉が一般的ですが、人口減少社会で地方分散してしまうと、人口密度が低すぎて、それぞれが過疎化してしまいます。
人口減少社会においては、人口増加の時代の「一極集中」ならではの「進んでいる地域」「遅れている地域」といった時間軸的な概念は弱くなり、人々の関心は各地域の固有の価値や文化に向かい、空間軸が中心の考え方になっていくでしょう。
事実、ここ10年くらいのゼミの学生など若い世代の傾向として、「将来は生まれ育った街を世界一にする」「留学して改めて、日本が抱える地域の問題解決に取り組みたくなった」など、ローカルへの関心が高いことがうかがえます。